「無失点男」、東北福祉大にあり。ヤクルト寺島成輝と甲子園で名勝負 (3ページ目)

  • 永田遼太郎●文 text by Nagata Ryotaro
  • photo by Nagata Ryotaro

 ストレートの球速はグンと上がり、2年夏にはチームの主戦を任されるようになった。そして3年夏にはエースとして甲子園に出場し、履正社(大阪)の寺島成輝(現ヤクルト)と投げ合った試合は、今でも高校野球ファンの間で語り草となっている。

 高校卒業後、東北福祉大に進学し、1年春からおもに先発として起用され、リーグ戦で6試合に登板し4勝0敗、防御率0.29。いきなり最優秀投手賞に輝いた。

 最高のスタートを切った山野の大学生活だったが、いいことばかりは続かなかった。

 1年秋に左肩を痛めて戦線離脱。リーグ戦の登板はわずか1試合のみに終わった。2年春は5試合に登板して4勝を挙げ、防御率1.13と好成績を挙げるも、その秋は相手チームの厳しいマークにあってわずか1勝しか挙げられず、防御率も3.72と本来の調子とはほど遠い内容だった。

「春はうまくいってないわりに、頑張ってなんとかやっていた部分があったのですが、その後は納得いくピッチングがずっとできなくて......」

 中継ぎで登板したある日、思うような投球ができず、ベンチに戻ってきた山野はその怒りをグラブにぶつけてしまった。やってはいけないことと知りながら、感情を抑えることができなかった。その様子を、東北福祉大の大塚光二監督は無言の圧力をかけるかのように、じっと見つめていたという。山野が振り返る。

「こんなんじゃ(プロは)無理だなと思いました。それこそ、普段の取り組みから変えていかなきゃいけないと......試合でもフォアボールを出して崩れることが多かったので、とにかくフォームを安定させられるよう、トレーニングを積みました。それが3年春の安定したピッチングにつながったのかなと思います」

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