公式戦登板1イニングもドラフト候補へ。慶應大左腕は杉田玄白の子孫 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 手術するということは、長いリハビリ生活を送ることを意味した。長谷部は「焦りはなかったと言えば嘘になる」としながらも、腰痛に苦しみ続けた3年間でも前向きに取り組めたという。

「同期の関根(智輝)、佐藤(宏樹)、木澤(尚文)がリーグ戦でいいピッチングをしていたのが、いいモチベーションになりました」

 野球選手は一線級になればなるほど、負けず嫌いな性分のはずだ。嫉妬に身を焦がし、周囲の活躍を面白く思わなかったとしてもおかしくはない。だが、長谷部はこう考えていた。

「悔しい、悔しい......という思いは根底にありましたが、同期の活躍は純粋にうれしいですし、自分もそれ以上のピッチングをすることが目標になっていました」

 裏を返せば、長谷部は自分自身の可能性を信じていた。

 同じような境遇で奮闘する同期の姿も支えになった。前出の関根は1年春のリーグ戦で開幕投手を務めるなど、安定感のある投球で1年時だけで5勝をマークしていた。

 だが、その後はヒジの故障に苦しんで停滞。ちょうど長谷部の手術と近いタイミングでトミー・ジョン手術を受けた。一軍メンバーの入る寮から一般寮に移っても腐ることなく、リハビリに励む関根の姿に、長谷部は「負けないぞ」という思いを新たにした。

 リハビリ期間には、投球フォームについてじっくり考える時間もあった。「二段モーションぎみに軸足でしっかり立ってから始動しよう」と長谷部は新しい投球イメージをふくらませた。

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