「昭和の野球」の悲劇の当事者は今、「子どもを守る野球」を教えている (3ページ目)

  • 広尾晃●文 text by Hiroo Koh
  • photo by Hiroo Koh

 野球人口を増やすために、昨年1月から活動を始め、3月にNPO法人「野球未来.Ryukyu」を立ち上げた。

「いろんな人に相談しましたが、最初は『なにそれ?』みたいな反応でした。どこもやっていない取り組みでしたから。NPBの球団が野球普及のイベントをしていますが、それは年に数回、幼稚園や小学校を回るような内容です。僕がやりたいのは、日常的に野球に触れる機会を提供するものです。45分の通常の体育の授業のなかで、僕が野球を教えるんです。日常の学校生活のなかに野球がある。授業時間内だから負担もないし、イベントとして構えることもありません」

 実際にやり始めると、『沖縄タイムス』や『琉球新報』という地元紙が取り上げて話題となり、依頼がくるようになった。

「今のところ、こちらからは営業はしていません。口コミで『うちの学校でもやってほしい』と依頼を受けています。無料だから、次もお願いしやすい。継続性を重視した活動形態にしたんです。資金は地元の企業や個人の方々からの賛同や支援、クラウドファンディングなどで集めています。

 授業はキャッチボール重視です。子ども用のクラブはZETTさんが活動に賛同くださり、提供してくださいました。バッティングも少しやりますが、まずは野球の原点であるキャッチボールを最優先に考えています。もともと文科省の指導要領に"ベースボール型授業"というのがあるのです、野球になじみのない先生方にとって、どう指導するかがひとつの課題でした。だから、野球の基本の部分を僕が担うことになったんです。

 当初は不安もありましたが、子どもたちの反応は想像以上でした。『野球ってまだまだいけるな』と確信しましたし、勇気をもらいました。去年は約70校、4000人の子どもたちに教えました。一度の授業ではなく、2~3回リクエストをしていただいた学校もありました。ここまで増えてくると、僕ひとりではできなくなります。事業化がこれからの課題になります」

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