悲運のエース・大野倫。高校野球への思いを変えた名将・栽監督との出会い (3ページ目)

  • 広尾晃●文 text by Hiroo Koh

「仲田幸司(阪神、ロッテ)さんがいた興南高校が『日本一になるんじゃないか』みたいな雰囲気がありました。でも、そこまでいかなかった。そのうちに、沖縄水産が台頭してきて、僕が中学の時には、上原晃さん(中日、広島、ヤクルト)がエースで準々決勝までいきました。でも、当時は県民の皆さんも全国制覇なんてイメージすらわかない時代だったんじゃないかな。

 僕自身は、当時、高校野球はあくまでプロに行くステップだと思っていました。ドラゴンズキャンプでプロ野球に触れた経験が強烈だったし、巨人の原辰徳選手が大好きだったので、投手で巨人に入団して、原さんのチームメイトになりたかったんです。中学3年の時には、沖縄水産で甲子園に出て、それからプロに行くと漠然と考えていました」

 その沖縄水産の栽弘義監督が、直接、大野をスカウトにやってきたのだ。

「その頃は部活がない時は、学校が終わったら家の裏の陸上競技場でサッカーをやっていました。そしたら母ちゃんが『沖水の栽先生が来るから、家に帰ってきなさい』と呼びにきた。でも、まさかと思ったので帰らなかった。遊び終わって夕方になって、家に帰ったら、栽先生たちが4〜5人で来ていた。母ちゃんに『どんだけ待たせんだ!』と怒られたけど、栽先生はテレビで見たとおりのにこやかな表情でした。当時、沖縄尚学、興南、那覇商などからも声がかかっていましたが、栽先生に会う前から、自分の中では沖縄水産だと思っていたので、先生が来られたその場で『行きます』と即答しました」

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