なにわのド根性注入で帝京魂復活。「馴れ合い」排除で甲子園出場が近い

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 もし野球の神が実在するなら、仕組んだとしか思えないカードだった。

 神宮外苑の再開発に伴い、58年の歴史を紡いできた神宮第二球場が今年いっぱいで閉場になる。神宮第二球場は神宮球場と隣接し、主に高校野球・東京大会の会場として使用されてきた。ゴルフ練習場としての顔もあるため、一塁側には3階建てのゴルフ練習ケージが並ぶ異色の球場として知られた。

神宮第二球場のラストゲームで活躍した帝京の主将・加田拓哉神宮第二球場のラストゲームで活躍した帝京の主将・加田拓哉 その最後の試合となる秋季東京都高校野球大会準々決勝。東京の高校野球界をリードしてきた帝京と日大三という両雄が激突したのだ。入場制限がかかるほどの大観衆がこのカードに押し寄せ、スタンド後方には立ち見客が幾重にも並んで熱戦を見守った。

「いい試合だったね......。たくさんのお客さんが入って、接戦になって(最後に)ふさわしい試合になった。ベンチで感心しながら見ていましたよ」

 試合後、そんな感慨を漏らしたのは帝京の前田三夫監督だ。試合は2対1で帝京が競り勝った。甲子園での通算勝利数は日大三が54勝(優勝3回)で、帝京は51勝(優勝3回)。実績は同格と言っていいが、近年の状況は対照的だ。安定して甲子園に出場して2018年夏には甲子園ベスト4に進出した日大三に対し、帝京は2011年夏を最後に甲子園から遠ざかっている。

 かつては「東の横綱」と呼ばれた帝京も、近年は東東京では関東一や二松学舎大付に押され、都立高に力負けするなど栄枯盛衰の感は否めなかった。名将の名をほしいままにした前田監督は70歳になった。同世代の監督が次々に現場を退くなか、前田監督が晩節を汚すリスクを背負ってまで高校野球監督にこだわる理由は何なのか。そんな疑問をぶつけたこともある。

 前田監督は「過去の栄光は、私にとってはどうでもいいことなんです」ときっぱりと語り、こう続けた。

「目の前の選手たちをうまくしてやりたい。その思いだけなんです」

 前田監督の思いとは裏腹に、帝京は甲子園からすっかり遠ざかっている。もちろん、選手は懸命に戦っている。それでも憎まれるくらい強かった帝京の時代を知る者からすれば、寂しさを募らせる年が続いていた。

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