26歳青年監督が名将の采配に学ぶ「伝統校には本当の強さと凄みがある」 (2ページ目)

  • 加来慶祐●文 text by Kaku Keisuke
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 じつは藤蔭にも、先に仕掛けるチャンスがあったのだ。2回裏の攻撃で、先頭の4番・塚本修平がヒットで出塁。しかし、続く山香拓巳がセカンドゴロ併殺打。二死となるも、7番・松尾将が四球を選び、8番の朝倉康平が打席に入った。

「初球、2球目とボールが先行して、カウント2-0になった時に、スチールのサインをかけていたのですが、ランナーが動くことができなかったんです。大分大会の時は、グリーンライト(ランナーの判断でいけたらいってもよし)を出せば、カウントにもよりますが少なくとも2球目までには仕掛けることができたのに、あの場面で松尾の足が動かなかった。動けなかったウチと、動いた明徳。この差は歴然でした」

 野球に"たら・れば"が厳禁なのは承知しているが、このあと朝倉がセンター前ヒットを放っただけに、もし二盗に成功していれば......先制点が入ったかもしれないし、試合展開はまったく違ったものになっていたかもしれない。

 なにしろ藤蔭は、大分大会の6試合すべてに先制し、常に自分たちのペースで戦ってきたチームなのだ。先制された直後の攻撃で、わずか3球で3つのアウトを取られたことからもわかるように、「追いかける」という未知の展開に、ベンチも選手も動揺を隠せなかった。

 さらに、2番手の高田大樹が登板した6回には、死球をきっかけに失策が絡んで追加点を許すと、そこから下位打線にもつながれこの回だけで4点を失ってしまう。試合後の取材で、馬淵監督は次のように語った。

「継投してくることはわかっていた。ウチにとってはラッキーでしたね。左打者は田くんの肩口から入ってくる変化球を引っ張る練習をしていたので......対策どおりに攻撃できました。また、先発した小宮くんはクイックが1.1秒と速いので、足を使って仕掛けるのが難しかったけど、モーションの大きい高田くんが出てきたので、ウチとしても動きやすくなった」

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る