負の連鎖を断ち切る1本の犠打。履正社スタイル徹底で初制覇を遂げた (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

西川黎の犠打からリズムをつかんだ履正社打線西川黎の犠打からリズムをつかんだ履正社打線 池田は言う。

「(2回表の西川の打席で)2ストライクになって『どうなんかな』というのはあったんですけど、あそこで決めてくれて雰囲気がよくなりました。自信というか、勇気づけられたのはありました」

 野上も続く。

「きっちりやったらいけるなと思いました。気持ちっすかね」

 取手二、常総学院(ともに茨城)を率いて甲子園で3度の全国制覇を達成した木内幸男氏は、かつてこんなことを言っていた。

「ひとりが失敗すると、みんなできなくなっちゃうの。だから、ひとり成功したら、その子をうんとほめる。そうしたら『オレもできるかな』って思うんです。それが子どもなんですよ」

 この試合で最初のバントを西川が決めたことで、履正社に"負の連鎖"がなくなった。それ以降は1回でバントを成功させ、攻撃のリズムをつくるという本来のスタイルを展開した。星稜の捕手・山瀬慎之助は2回の西川の場面について、こう悔やむ。

「(2ストライクになり)1球ストレートを挟もうと思ったんですけど、3球でいけるかなと思ってしまった」

 そして履正社の攻撃で特筆すべきは、3回表、二死一、二塁で4番・井上広大がバックスクリーンに飛び込む3ランを放った場面だ。打った井上も見事だが、見逃してはならないのがその前を打つふたりの打者である。2番・池田と3番の小深田大地(こぶかた・だいち)が二死から四球を選んだことだ。

 奥川は石川大会24イニングでわずか3四死球しか与えておらず、甲子園でも抜群の制球力を誇っていた。そんな精密機械と言ってもいいエースの連続四球に、女房役の山瀬は「初めてです」と驚きを隠せなかった。きわどい判定の球もあったが、池田と小深田が低めの変化球をしっかりと見極めた。山瀬が言う。

「今日の奥川のデキはこの夏の大会でワースト。キレがなかった。試合中、奥川が『球がいかない』と言うのは初めてでした。自分もテンパってしまったところがあって......まずいなと思いました」

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