習志野の投手起用に見る球数問題。エース温存で投手陣はみな成長した (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 2年生の山内の成長によって出番を失った、背番号17の岩沢はこう言う。

「センバツで2試合に先発登板して、すごくいい経験をさせてもらいました。夏は公式練習でマウンドに立たせてもらったんですが、春と夏では全然違うと感じました。夏も投げたかったんですが、自分の力がなかったので......悔しいです。でも、その悔しさを忘れて、チームの勝利のためにベンチで声を出しました」

 投手陣として一緒に戦った岩沢は、飯塚と山内の成長を誰よりも知っている。

「一緒に練習していて、2人の成長を感じました。完投できる投手になるために、飯塚も山内も走り込んでいたので、とくに体力面で成長したように思います。投手陣全員で助け合って、ここまで来ました。負けたことに悔いはありますが、2年生が軸のチームなので、彼らには来年、また甲子園に戻ってきてほしい。僕には大学で野球を続けるだけの実力がないとわかったので、卒業後は警察官を目指します。野球はこれで終わりです」

 一方で、中学時代は主に外野手だった飯塚は、習志野で投手としての基礎を固め、甲子園で進化を遂げた。今では、ストレートの最速が150キロを超える。

「これからは"打たれない"投手になりたいです。小林先生をはじめ指導者の方に、野球の本質から教えてもらい、本当の野球を知ることができました。中学の時よりも何倍もスキルアップしたと思います。こうして、甲子園で何試合も投げられるとは思っていませんでした」

 エースの飯塚は大学進学を、2年生の山内は甲子園を、控え投手の岩沢は警察官を目指す。甲子園という場を経験して、それぞれの夏が終わった。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る