履正社ナインが語る豪打の秘密。ねじ伏せられた屈辱が才能に火をつけた (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 またセンバツで奥川に完璧に封じられた以降は「対応力を上げる」ことをテーマに練習に励んだ。一線級の投手の球をいかに試合のなかで対応し、攻略していくのか。岡田監督は言う。

「スライダーの見極めのポイントなど、いつも言っていることは継続しながらですが、なにより大きかったのは春のあの時期に奥川くんのボールを見られたということ。彼以上のピッチャーと言えば......それこそ佐々木(朗希/大船渡)くんがどうかというところしかないわけですから。その奥川くんのボールを基準に考えれば、より意識は高くなってきます。それが夏のバッティングにも現われていると思います」

 4番を打つ井上の"変身"は、まさにチームの象徴だった。187センチ、95キロの堂々たる体から圧倒的な飛距離を誇るスラッガーだ。センバツ前も注目を集めていたが、奥川の前に3三振。それもストレート、変化球についていけず、まったく自分のスイングをさせてもらえなかった。井上は言う。

「今までは楽しいと思うことがいっぱいあった野球が、あの試合から1カ月ぐらいは本当にやりたくなかった」

 これまでの自信を完膚なきまでに打ち砕かれた。それでも甲子園から戻ると、奥川の球の残像をイメージしながら、打撃練習を繰り返した。

「センバツから帰って、いろいろ考えて試しました。1つはボールをとらえるポイントです。とくに追い込まれたあと、普段の左ひざ前のイメージから、体の中心あたりまで呼び込んでバットを落として打つ感じにしたんです。左ひざの前でさばこうとすると、気持ちも体も前にいってしまいがちで、変化球に対応するのが難しかったんです。すぐにはできませんでしたが、徐々に体がしっかり残って、背筋で飛ばす感覚がわかってきたんです」

 4、5月はまだ思うような感覚をつかめていなかったが、そのなかでターニングポイントと語る一戦があった。

「6月の三田松聖(兵庫)の試合です」

 正確には6月16日で、この試合で井上は2打席連続ホームランを放ったのだが、その1本目の場面を振り返った。

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