「牛鬼打線」宇和島東の復活へ。名将の教えを継ぐ新監督が再出発を誓う (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 また、宇部鴻城との対戦前の囲み取材では、長滝監督に対して恩師である上甲元監督の質問が飛んだ。

 名将が率いた宇和島東は、1987年に夏の甲子園に初めて出場し、1988年春のセンバツで全国優勝。その2回を含む春夏通算11回の甲子園出場を果たした。1997年に選手として甲子園に出場した長滝監督も、上甲元監督の指導を受けている。

「上甲さんに言われて覚えていることですか? 『学校のグラウンドに甲子園への切符が落ちとる。それをみんなで探そう』という言葉ですね。『上甲野球とは何か?』と聞かれても、教えてもらったことが多すぎて、ひと言では言い表せません。

 今、指導をしている際にも『上甲さんにこう言われたな』『上甲さんならこうするかも』と考えることがあります。具体的な練習でいうと、鉄のバットを振らせてみたり、細いバットでバントさせてみたり。要所要所で思い出して自分なりに言い方を変えて、選手たちに話をしています」

 そうして臨んだ甲子園の初戦。相手の宇部鴻城の先発投手は、背番号8の岡田佑斗。テンポよくストライクを投げる岡田に宇和島東の打者はタイミングが合わず、初回は三者連続三振。2回表に宇和島東の先発・2年生の舩田(ふなだ)清志がつかまり、3安打で2失点。追いかける展開になると、4回表には一番の投手・岡田にホームランを打たれ、0-5と引き離された。

 宇和島東は4回裏、赤松のタイムリーヒットで1点を返すと、5回には七番の兵頭仁がレフトスタンドに本塁打を放ち、点差は3点。ところが、愛媛大会で見せた粘りを発揮するはずの終盤で、宇和島東にミスが続出した。

 6回表にエース・舩田のワイルドピッチで追加点を許し、7回裏の攻撃ではノーアウト一、二塁のチャンスを作りながら牽制死で得点機を逃してしまった。結果、宇和島東は一度もリードを奪えぬまま、ゲームセットの瞬間を迎えた。

 試合後の会見に臨んだ長滝監督はこう振り返った。

「悔しいという気持ちはあるんですが、自分が思っていた以上に、選手たちがのびのびと戦う姿を見て楽しい時間を過ごせました。ヒットを13本も打ちながら3点しか取れなかったのは、ここぞというときに集中打が出なかったから。相手投手のコントロールとテンポがよくて、三番、四番打者が仕事をさせてもらえなかった。終始、押されていましたね。

 6回表のワイルドピッチでの失点、7回裏のチャンスでの牽制アウトなど、集中力が足りない部分がありました。今後は、そのあたりをしっかり鍛えないと甲子園では勝てないと痛感しました」

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