「牛鬼打線」宇和島東の復活へ。名将の教えを継ぐ新監督が再出発を誓う

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 かつて強力打線を擁し、その破壊力から"牛鬼(うしおに)打線"と恐れられた宇和島東(愛媛)。名将の上甲正典(じょうこう・まさのり)監督に率いられ、1988年の春には日本一にもなった強豪が9年ぶりに甲子園に戻ってきた。

4月から、母校・宇和島東で指揮を執る長滝剛監督(写真中央)4月から、母校・宇和島東で指揮を執る長滝剛監督(写真中央) 2年生ながら宇和島東の五番を担った赤松拓海は、自分のお腹をさすりながら言う。

「甲子園に来てから、4キロも太っちゃったんですよ。毎日、ご飯がおいしくて」

 赤松は思い切りのいいスイングが持ち味。8月12日に行なわれた宇部鴻城(山口)との2回戦では、4回裏にライト前のタイムリーヒット、3打席目、4打席目に強烈な当たりのレフト前ヒットを放った。身長174cmで、体重は90kg。明るさと豪快さを兼ね備えた宇和島東らしい選手のひとりだ。

 愛媛大会決勝で、春夏連続出場を目指した松山聖陵を下した宇和島東は、ノーシードから勝ち上がった粘りが身上。だが、追いかける展開になった宇部鴻城との試合は、13安打を放ちながら3-7で敗れ、初戦で涙を飲んだ。

 そもそも、今年の愛媛大会に臨む前の宇和島東に対する期待は大きくなかった。ここ数年、「今年こそ!」と言われながら苦杯を嘗めることが多かったからだ。愛媛では私立高校の台頭が目覚ましく、県立高校の宇和島東は戦力の面でも後れを取っていると見られていた。実際に、今回の甲子園メンバーには、愛媛の南予地区という限られた地域の選手しかいない。

 高校時代、宇和島東で1997年に春夏の甲子園に出場し、今年4月に母校に赴任した長滝剛監督は、当時と今のチームの違いを次のように語る。

「(赴任時のチームは)昔の宇和島東と同じところを探すのが難しいほど、違っていました。選手個々の能力はいいんですが、『野球をやっとらんな』と思いました。自分のことだけ考えて打って、守備でミスしても謝りもしない。選手同士の声の掛け合いも少なかった」

 選手の能力頼みで勝てるほど、今の高校野球は甘くない。長滝監督が選手に説いたのは、あいさつと全力疾走の徹底と、整理整頓だった。野球の技術向上と、あいさつや整理整頓が直結するとは考えにくい。だが、しつこく諭すことで選手たちに変化があった。

「小言のように言い続けました。『ベンチの中がこんなにごちゃごちゃなチームが甲子園に行けると思うか』と。そのうち、少しずつきれいに揃えられるようになっていきました。僕からすれば、まだまだですけどね」

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る