なぜ「史上最弱」沖縄尚学はセンバツ準Vの習志野を追い詰められたのか (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 その後、同点に追いつかれたものの、6回裏には再び奥原がスクイズに成功。しかも、今度の場面は一死満塁、カウント3-2からの球場中の虚をつくようなシチュエーションだった。比嘉監督には成功する自信があったという。

「満塁、カウント3-2からのスクイズは練習試合でも何度かやっていました。はっきりとボールとわかる球だったら(バットを)引くという練習をしているので」

 奥原は外角のややストライクゾーンを外れたボールを三塁フェアグラウンドに転がした。スクイズで2打点を稼いだ奥原は、「僕じゃなくてもチームの誰もがスクイズを成功させる準備はできています」と胸を張った。

 その後は4回途中から仲村渠をリリーフした2年生右腕の永山蒼が好投。4対3と1点リードのまま、最終回を迎えた。

 しかし、一死一塁から比嘉監督が「全国との差を感じた」と振り返る決定的なシーンが訪れる。一塁走者の山内翔太がスタートを切ったのだ。

 もしアウトになれば、二死無走者となり勝利は絶望視される場面である。強肩捕手の岡野が素早く投げた二塁送球はわずかに一塁側に逸れ、追いタッチの形でセーフになった。一塁側アルプススタンドは熱狂し、比嘉監督は「結果的にこのプレーが流れを変えた」と悔やんだ。

 その後はエラーも絡んで同点にされ、延長10回表には勝ち越し点を許して万事休す。沖縄尚学の夏は終わった。比嘉監督は悔しさを滲ませながらも、選手たちの成長について聞かれるとこう答えた。

「新チームがスタートした時は、まさか夏の甲子園に出るなんて本当に思っていませんでした。センバツ準優勝校に最後までよく食らいついてくれたと思います」

 おそらくこの試合しか見たことがない人なら、このチームが「史上最弱」などと呼ばれていたことを信じないだろう。優勝候補を徳俵まで追い詰めた沖縄尚学の選手たちはたくましく、そして粘り強かった。

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