5季連続甲子園出場の3人が中心。智弁和歌山が挑む「負けられない夏」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 黒川は「5季連続甲子園出場」と「日本一」という明確な目標をもって、智弁和歌山に入学してきた。父・洋行氏が1993年のセンバツで上宮(大阪)の主将として日本一を経験。その影響もあって少年時代から「やるからには日本一」と、常にそこを目指して野球に打ち込んできた。

 まさにその考えは、高嶋がつくり上げた智弁和歌山の教えに通じるもので、黒川がここで主将としてチームを引っ張っていることに必然性を感じてしまう。黒川の強い思いは、時にチームに緊張感を走らせたが、そんな時に支えとなったのが東妻と西川のふたりだった。黒川がふたりへの思いを口にする。

「ふたりがいてくれたのは、本当に自分にとって大きかった。心から信頼できるふたりなんです。試合のなかで考える場面があったとしても、グラウンドに東妻と西川がいると安心できますし、すぐに声をかけて考えを聞いたりもします。これだけの信頼関係を築ける仲間というのは、これから先もないだろうと思うぐらいで、自分はキャプテンですけど、東妻と西川には頼るところは頼ってやってきました。3人だからこそやってこられたという思いは、本当に強いです」

 夏の和歌山大会は、まったく危なげのない戦いで制した。そのなかでも3人の活躍が光った。打順は、春の近畿大会から黒川が3番→1番、西川が2番→3番、東妻が4番→6番に移ったが、これが見事に機能した。

 和歌山大会では、黒川.444、西川.526、東妻.529と揃って高打率を残した。黒川は2本の本塁打も放ったが、真骨頂は決勝での先頭打者本塁打。春の大会以降の打順変更は、監督である中谷仁のなかの「黒川を1番に」からの発想だった。

 当初、好打に足もある細川凌平が1番を打っていたが、より打線に勢いをつけ、相手の出鼻をくじく迫力ある打線を求めたところ、黒川に白羽の矢が立った。そして中谷が求めた迫力ある打線の象徴が、和歌山大会決勝での黒川の先頭打者本塁打だったのだ。

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