佐々木朗希の登板回避にあらためて思い出す大谷翔平を育てた監督の言葉 (2ページ目)

  • 佐々木亨●文text by Sasaki Toru
  • photo by Kyodo News

 大船渡は夏の戦いに向けて、佐々木に次ぐ投手の育成に力を入れてきた。なかでも成長著しい大和田健人、和田吟太は、佐々木を温存した準々決勝の久慈戦をふたりで投げ切り、チームに勝利をもたらした。

 だが決勝戦、先発のマウンドを担ったのは、大会初登板となった柴田貴広だった。対戦相手の戦力を分析しての起用とも言えるが、失点をいくら重ねても大和田、和田がマウンドに上がることはなかった。その投手起用について、大船渡を応援するスタンドから激しいヤジが飛んだ。

 それだけに試合直後に感じた「切なさ」を思い浮かべるたびに、チームのあり方、チームづくりの難しさを、あらためて思い知らされた。

 奇しくも、大船渡の決勝の相手となったのは、菊池雄星(マリナーズ)、大谷翔平(エンゼルス)らを輩出してきた花巻東だった。チームを率いる佐々木洋監督にとって、今やメジャーで活躍するふたりの逸材との出会いは、"喜び"だった。

 とはいえ、佐々木監督に不安がまったくなかったわけではない。

「はじめは怖さしかなかったですね」

 大谷翔平との出会いを、佐々木監督はそう振り返ったことがある。秘めた才能を自らの指導によって潰してしまってはいけない。そんな不安と重圧......ときには"恐怖"にも似た感覚を佐々木監督は経験している。

 大谷は高校入学の時点で身長は190センチ近くあり、しかもまだ成長段階にあった。タテに伸び続ける体は希望の証でもあるのだが、同時に脆さも同居していた。わずかな衝撃や過度な負荷によって、大きなケガにつながる危険をはらんでいる。大谷の将来を考え、その歩みを慎重に見定めていった。佐々木監督の言葉を思い出す。

「ケガの治療も大事ですが、今は"予防の時代"になっていると思います。ほかの選手も同じようにしますが、体がタテに伸び続けていた大谷には、ケガをする前に......と思って、入学してすぐに体の検査をしました。すると大谷の体には、まだ骨端線(体の縦軸方向に関係する骨の先端付近の軟骨層)が残っていた。要するに、骨が成長段階にあると告げられました。いたるところに骨端線が残っていて、過度なストレスはかけられないということでした。ドクターやトレーナーと相談しながら、3年間の育成方針とトレーニング内容を慎重に考えて進めるようにしました」

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