選手がいなかった軽井沢高校。ある女子マネの手紙から奇跡は始まった (4ページ目)

  • 清水岳志●文 text by Shimizu Takeshi
  • photo by Shimizu Takeshi

 その思いが通じたのか、体験入部に数名が来て、硬式球に慣れるためにバッティングをしてもらった。その甲斐もあって、1年生が8人入部してきた。

「えっ、これは現実なの?と思ったけど、正夢でした(笑)。5人入ってきたらうれしいなと思っていたら、それが8人。9人ならあとひとりでなんとかなるじゃん、って」

 入部した8人のうちのひとり、星尚也は言う。

「入学手続きでもらった書類のなかに封筒が2つありました。ひとつは合格通知で、もうひとつは何かなって思ったら、直筆の手紙でした」

 1年春から主将を務めてきた山崎佑作は、こう回想する。

「軽高(軽井沢高校)では違う部活をするつもりでした。でも、手紙に書かれている"夏1勝が夢"という言葉が印象的で......。体験入部の時に金属バットで硬球を打ったら、手の皮がむけたのですが、今までにない感触で楽しかった」

 中学時代、剣道部だった副主将の内藤淳次郎は直筆の手紙をもらえなかったことを残念がっている。

「軽高には剣道部がなくて『部活はいいや』と思っていたら、入学式の翌日に(山崎)佑作と『部活どうする?』という話になったんです。佑作が『今から野球部を見に行かない?』と言うので行ったら、そのまま入っちゃいました(笑)」

 小宮山さんにとって最後の夏、ついに単独チームでの出場を果たした。

「助っ人ひとりを加えて9人。夏に単独で出られて......夢かなって思いました。連合チームではベンチに一度も入れなかった。でも、ひとりで何でもできるマネージャーになりたくて、2年間『ああしよう、こうしよう』とメモを残してきたんです」

 軽井沢の選手は暑さが苦手だ。試合前日、部員のためにコールドスプレーをドラッグストアで購入した。小宮山さんはそのスプレーのキャップにメッセージを書くことにした。

「星くんらしく頑張ってね」
「内藤くん、外野は頼んだよ」
「キャプテン、任せたよ」

 ちなみに「ホームランを打ってね」とメッセージを書き込んだ高橋泰智が本当に先制の2ラン本塁打を打って、そのボールを小宮山さんにプレゼントしたというエピソードは、当時の新聞に掲載された。

 この頃、野球部のブログに綴られた喜びの日々を、抜粋して紹介したい。

 5月9日付
<4月から勧誘を続け、なんと8人の選手が入ってくれました!
ひとりでやってきて、グラウンド整備を続けてきて、本当によかったと思いました!

グラウンドを見ると、選手たちが野球をしている!
当たり前のことですが、私にとっては、そのすべてが特別で、とてもうれしいことです。
こんなに毎日が楽しいのはいつぶりだろうか。

ほんとうに、ほんとうに、今までにはないくらい幸せで、やっててよかったと思います>

7月8日付

<最後の夏が始まりました。

初めて単独での出場!
自分のチームが行進する姿を三塁ベンチ前から、あんなに近くで見れてうれしかったです!

7月で引退。ずっとわかっていたことなのに、いざその日が来ると寂しくて、もう少し一緒にやりたいと思ってしまいます>

8月18日付
<7月10日、長野東との試合で2対14(5回コールド)と大差ではありましたが、すばらしい試合で軽井沢高校の夏は終わりました。

その時点で引退は、もちろん私のみですが、みんなまだ1年生であと2回夏は来ます。
それでも今年の夏、全力で戦い抜いてくれて、本当にうれしかったです!

ホームランというすばらしいものを、私はベンチのなかで見ることができました!!!
そしてそのボールを、最後には選手からいただき、本当にうれしかったです。

 選手9人という、ほかの高校と比べるとやはり少ない......というか、普通では考えられない人数かもしれません。でも、私にはたくさんに見えます。

 先輩の選手がいない環境で野球をやるのは、きっと辛いこともあったのではないかなと思います。それでも入部を決め、野球をしてくれて、1年生には感謝しかないです。

 素敵な1年生に出会い、たくさんの人に支えられ、私は笑顔で野球部を引退することができました。ありがとうございました>

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