大船渡は佐々木朗希を育て、守った。登板回避よりも伝えられるべきこと (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 決勝戦の試合後、報道陣から大会日程の過密さについて問われた國保監督は「私は発言する立場にありません」と語った。だが、ゆとりのある大会日程であれば、そもそもこのような論争には発展しなかった。岩手県に限らず、期末試験の期間が障壁になっているのであれば、北海道や沖縄などの地区のように6月から開幕するべきだろう。「球数制限」の議論よりも、過密日程の問題を解消するほうが先のはずだ。

 一方、「気候」は決勝戦で佐々木を登板回避させた大きな要因になった。國保監督はこう説明している。

「今まで曇りの日が続いていて投げやすいコンディションだったんですけど、今日は暑いですし」

 たしかに、今夏の大船渡の試合日は過ごしやすい気候の日が多かった。試合日の最高気温を見ていくと、初戦(遠野緑峰戦)の22度に始まり、最高30度を超えた日は一度もなかった。佐々木が先発完封した準決勝(一関工戦)は29度。雲間から太陽が顔をのぞかせ、汗ばむ時間帯もあり、試合後に國保監督に聞くと「暑さはとても心配です」と語気を強めていた。そんななか、疲労がたまり、精神的な負荷がピークになる決勝戦が最高気温31.9度で、太陽が照りつける環境だった。

 そして、國保監督は恣意的に決断する指導者ではない。久慈戦の試合後には、投手起用の判断材料として「理学療法士、医師、トレーナーからのアドバイス、あとは球場の雰囲気、相手チームの対策、自分たちのモチベーション。それらを複合的にふまえて判断しています」と語っている。

 國保監督が佐々木の登板回避を決めたのは、決勝戦の朝の練習を見たときだという。

「私は教員ですし、(佐々木の代は)最初は同じ学年についていましたので、彼が入学してからの行動とか、どのような動きをするとか観察評価してきたつもりです」

 國保監督はこう説明した。さまざまな要因をふまえて、最終的に下した結論が「登板回避」だった。國保監督によると、方針を伝えた佐々木の反応は「笑顔で『わかりました』と言っていました」ということだった。

 選手が納得しているのであれば、問題がないはずだ。ただ、試合後の佐々木の反応は非常に読みづらかった。

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