「私立校甲子園未出場地区」徳島県。生光学園は歴史を変えられるか (4ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

 選手、指導者陣ともに自分を奮い立たせて戦った秋は2回戦敗退。今春も、秋と同じく2回戦で姿を消している。

 秋、春どちらかは4強以上に食い込むことがほとんどだった同校にとって、異例とも言える状況だが、幸島はこう力を込める。

「昨年決勝を戦うなかで、鳴門の選手たちから『オレが試合を決めてやる』という強い気持ちを感じました。逆に生光の選手たちは『うしろにつないで、誰かが決めるのを待っている』という面があった。最終的にはそこの差が勝敗を分けたと思っています。監督就任から約4カ月、『少しでもチームにプラスを』と考えてきましたが、僕にできることは限られていますし、監督で勝てるとも思っていません。こういう状況だからこそ、選手たちに『オレが決める』と思ってほしいと期待しています」

 そして、こう付け加えた。

「ここまで悔しい負けを経験してきて、『結果がすべてなんだ』と実感させられました。夏は初戦敗退も準優勝も差はなく、甲子園出場という結果を出さなければ同じだとも感じています。ある意味、開き直っていけたらと思います」

 また、春の公式戦終了後の4月に就任した幸島にとって、夏は公式戦初采配となる。それに加えて、生光学園OBが監督を務めるのも、幸島が初めて。初のOB指揮官として意気込みを語る。

「監督として初めての公式戦、めちゃくちゃ緊張すると思います(苦笑)。多くのOBがいるなかで、自分の現役時代の監督である市原清理事長から、『元号が変わった新時代に、卒業生の監督で新しい歴史をつくっていく』という意味合いも込めて、監督に指名していただいた。野球部の新しい歴史を、この夏につくっていきたいと思います」

 選手、指導者として生光学園で過ごすなかで、「周囲の目が変わりつつある」とも感じているという。

「僕が選手の頃は、『生光に甲子園に行かせたらアカン』という空気を感じていました。でも、今ではそういった意見も耳にしませんし、むしろ高野連の方々からも『そろそろ出てくれよ。そうしたら県のレベルもあがるから』と言っていただいています。生光の見方が変わったのは、今までの選手たちが公式戦の当番校として雑務を丁寧にこなしたり、あいさつを徹底してきたから。応援してくれる方々、OBたちのがんばりに報いるためにも甲子園出場という結果で恩返ししたい」

 悲劇と涙には平成で別れを告げた。創部史上初のOB指揮官の下、令和最初の夏に高校野球の歴史を変える。

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