2019.07.18

「私立校甲子園未出場地区」徳島県。
生光学園は歴史を変えられるか

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

 立ち上げに携わったのが、現在は中学、高校を「総合コーチ」として指導する平田薫氏(元・巨人)。元プロの指導のもと、学校のグラウンドで目一杯練習できる環境は県内でも評判になった。

 その生光学園ヤングの1期生たちが高校に進み、3年の夏を戦ったのが2011年だった。決勝では、徳島商と対戦。延長13回にもつれる激闘を繰り広げたが、悲願達成にはあと一歩及ばなかった。

 さらにスタッフ陣を悩ませたのが、中学で育てた選手たちの"流出"だった。

 中学時代は生光学園ヤングで腕を磨き、高校は甲子園行きの可能性を考え他校に行く。その選択を取る選手が表れ始め、ある年の夏に出場した公立校の出身中学一覧に「生光学園中」が何人も並んだこともあった。

 この現状を案じた生光学園スタッフたちが練り上げたのが、「100回大会に向けた6年計画」だった。橋本が言う。

2013年に生光学園ヤングに入部した選手たちが、かなり力があったんです。そのタイミングでプロアマ規定の改定もあって、平田コーチが高校も指導できることになりました。地力があって、さらに中高6年間平田コーチの指導を受けられるこの世代で勝負しようとスタッフで話し合いました」

 なかでも強烈な存在感を放っていたのが、湯浅麗斗(現・上武大)だった。少年野球時代のプレーも知る橋本が「大人が使うサイズの球場で小学生がフェンス直撃。バケモンでした」と語る長打力を、生光学園ヤングの環境でもスクスクと成長させた。

 6年計画世代の1つ上の学年にも力があったが、主力の多くが他校に分散。県内の強豪公立校だけでなく、隣県の甲子園常連私立に進んだ選手もいた。

 危機感を強めたスタッフ陣は、例年以上に中高の連携を強めていった。その結果、数名は他校に進学したものの、湯浅や高校でキャプテンを務めることになる月岡大成(現・駒沢大)を含むレギュラー7名が生光学園に入学した。

 入学後もスタッフ陣は、「100回大会で甲子園に行く」、そして「この代で徳島の歴史を変えよう」と繰り返し伝えてきた。