まさかの名将退任→元プロ監督就任。如水館は最悪の雰囲気から甦った (3ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

 大久保が広島へと向かっているころ、如水館グラウンドにも"涙雨"が降り注いでいた。

 前日30日に迫田前監督体制での公式戦を戦い終えた。指導最終日である31日は、県内の公立校との練習試合が行なわれた。

「練習試合の終わりが近づくにつれて、どんどん泣いている選手が増えていきました。最終回は全員泣いていたと思います」

 如水館の主将で正捕手の山下尚(なお)が当時を回想する。山下の言う「全員」には、当然、自分自身も含まれている。山下も迫田前監督の野球に憧れて如水館の門を叩いたひとりだった。

「中学3年の夏、マツダスタジアムで如水館と広島新庄の決勝を観戦しました。その時の迫田監督の野球がすごく印象に残っています。次から次へとベンチの選手が試合に出てきて、しかも結果を残す。自分が今まで見たことのない野球でした」

 磨き抜かれた洞察力で選手の力を見抜き、"適材適所"に配置していく。ひとつの作品のように試合を紡いでいく名伯楽の姿に、一発で虜になった。

 そして翌春、如水館に入学。1年夏から公式戦に出場し、100回大会の昨夏も正捕手を任された。当時レギュラーの半数以上が自身と同じ2年生。「101回目の夏」が勝負であることは明らかだった。

 その勝負の世代が最高学年となった昨秋は、県大会3回戦で敗退。山下たちにとってラストチャンスである夏に向けて気持ちを新たにした状況で発表されたのが、迫田前監督の退任だった。山下が振り返る。

「自分たちが退任を知ったのも、(退任の報道が掲載された)新聞とほぼ同じ時期でした。『えっ?本当に?』と最初は信じられなかったです」

 この知らせの余波は大きく、下級生時代からバッテリーを組んでいたエース左腕から野球部を退部、学校も辞めるつもりだと告げられた。

「『野球部も学校も辞める』と言われた時、全力で止めました。まだ、甲子園のチャンスは残っているんだから、それを一緒に目指そうとも言いました。それでも、『オレが如水館に来たのは迫田監督と野球をするためだ』と言われて......

 名将の野球に魅了されたのは自分も同じ。その気持ちが痛いほどわかるからこそ、説得は無理だと悟った。

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