まさかの名将退任→元プロ監督就任。如水館は最悪の雰囲気から甦った (2ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

「昔から『人生、迷った時はGOだ!』と思っています。母校のコーチからオイスカの監督に転身する際も、そう思って決めました。なので、同じく今回も迷うならば、話を受けるべきだと決断したんです」

 最終的には自身の直感を信じてオファーを受諾。ただ、オイスカの教え子たちが気がかりでもあった。

「続けていれば、この春から4年目。自分が声をかけて、入学してくれた選手たちが3年になるタイミングでもありました。一緒に過ごしてきた選手たちとの別れは心苦しかったですね」

 静岡のコーチとして甲子園に出場した際に、試合後のインタビュールームで磯部修三(元・浜松商監督など)と出会ったことがきっかけとなって実現したのが、当時創部まもないオイスカの監督就任だった。

 周囲からは「新興校の監督は天国と地獄かはっきり分かれる。やめておいたほうがいい」と反対されながらも受諾。想像以上に苦しくも、選手たちと一歩一歩進んでいく日々は充実していた。

「オイスカに行って、最初の頃は毎日が衝撃的でしたね。練習の時、野球用のストッキングを履いてこない選手がいて、『ストッキングはケガ防止のためにも絶対履かないとダメ。なんで履かないの?』と話しても、次の日また履いてこなかったり(笑)。それでも、こちらが手をかけた分だけ選手たちも成長してくれる。やりがいは大きかったですね」

 3月26日に行なわれた、春の静岡大会西部地区大会が最後の采配となった。試合後、オイスカを退任し、広島で指導者なることを選手たちに告げた。

「試合後、『じつはオレが指導するのは、今日が最後なんだ』と球場で選手たちに伝えました。4月の報道で発表されるまで、如水館に行くことは話せないので、『広島で指導者になる』とだけ付け加えました。その時、涙を流す選手もいましたが、自分が厳しく接してきた子ほど、激しく泣いている。『そういうものなんだな』と思うと同時に、うれしくもありました」

 保護者からは夏の大会の応援用に作っていたTシャツを手渡された。自身の名前である「学」の文字が選手たちの名前で囲まれた特注のデザイン。万感の思いでオイスカを去り、3月31日に広島へと入った。

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る