外務省から高校野球の監督へ。名将に学んだ指導で夏の神奈川に挑む (4ページ目)

  • 清水岳志●文 text by Shimizu Takeshi
  • photo by Sportiva

「ここの生徒はガツガツしていないんです」と平林は言う。もともと女子校で、部活がそれほど活発ではないという学校特有の気風があるのは否めない。そこを教師が積極的に動いても浮いてしまうことが予想される。だけど、周りを気にして野球部が盛り上がらないのも寂しいという葛藤が平林にはある。

 赴任した時に新校舎ができ、それまであったプレハブ教室が取り壊れて、グラウンドが広く使えるようになった。普段はサッカー部と共用しているが、調整すれば練習試合も可能だ。

 練習は、午後4時頃から完全下校の夜7時まで続く。部員が少ない分、バッティング練習では打てる本数が多く、ノックでも受ける数が多いのが救いだ。

 とはいえ、監督としての悩みは多い。昨年6月、ある2年生部員が辞めたいと言い出した。

「練習試合で気持ちが入っていない感じがしたので、呼んで話し合ったんです。すると『3年生には夏まで残ってくれてと言われたので続けますが、それが終わったら辞めたい』と。3年生に相談しても『戦力として必要だから使ってほしい』と言う。私自身は試合で使うのは嫌だったのですが......夏はチームとして同じ方向に気持ちが向いていないと厳しいですね」

 今も日々勉強という平林だが、あるベテラン監督とこんな話をしたことがあった。

「『野球は教育の一環で、人間形成の場』と言われたんです。『社会に通じることを忘れな』とも。でも、すんなり理解できなかったんです。私はサラリーマン経験があるので、むしろそうしたことを言わないほうが......と思っている部分があったんです」

 相模田名の教え子が、軟式野球部のある物流会社社員として就職できたそうなのだが、人柄を買われて採用されたのだという。社会性、協調性は自然と身につけていた。

「こっちが口うるさく言わなくても、できていたんだなと。やっている時はわからないけど、しっかり対話できる人間になっていた。うれしかったですね」

 それを教えてくれた監督の言葉が正しかったことを、この時に実感できたという。監督と生徒ではなく、人と人。その思いは、指導者になった時から変わらない。

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