外務省から高校野球の監督へ。名将に学んだ指導で夏の神奈川に挑む (3ページ目)

  • 清水岳志●文 text by Shimizu Takeshi
  • photo by Sportiva

 外務省ではフットワークの軽さが求められた。それと自らの社交的な性格が多くの野球人とのつながりを生み、のちに選手たちとのコミュニケーションを深める時にも生かされている。

 平林が最初に教員採用試験に合格したの岐阜県だった。赴任した高山工にはすでに野球部監督をはじめスタッフがおり、サッカー部の顧問を任されることになった。このままでは自分の夢を叶えられないと思った平林は、あえて高校野球が盛んな神奈川県に照準を定め、見事合格を果たす。

 そして2012年、社会科教諭として最初赴任したの県立の相模田名高校だった。1年目は前任の監督がいたため部長を務め、2年目に念願叶って監督に就任した。

 アマ球界の重鎮たちから教わった指導力と持ち前の行動力を生かし、チームを強化。最初の夏から2勝、2勝、3勝、2勝と結果を残し、DeNAのスカウトが「あのショートの子はプロでやっていける可能性がある。育成枠で獲れるかも」と評価をしてくれた選手もおり、足を運んでくれたこともあった。

 そして今の上溝高校に転任したのは2017年。相模田名と上溝はほんの数キロ離れただけの位置に学校があり、以前から練習試合など交流があった。

「田名にいた時から練習試合をしたことがありましたが、上溝は元気がないなぁという印象でした。監督になった時は部員が8人で、練習にベルトをしてこない生徒がいたりして......何から手をつけようかなと思いました。なにより部員がいないので、大会には助っ人を探して出ました。中学時代に野球をやっていた子を調べて。彼はバイトをしていたのですが、大会だけは出てくれとお願いしました」

 それから2年が経ち、現部員は1年生2人、2年生9人、3年生2人、3年生のマネージャーが1人、1年生のマネージャーが2人。今年の1年生は全部で242人(男子114人、女子128人)の生徒がいるが、野球部に入ったのはたった2人しかいなかった。相模田名では3学年で部員が40人ほどいたので、現状の部員不足は平林にとって大きな悩みである。

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