東海大菅生の忍者が大学1年で侍Jに。
怪しい動きで好敵手の術を学ぶ

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

"忍者"は常に「ターゲット」のうしろにいた。練習前の円陣でも、ウォーミングアップのダッシュでも、練習後の居残り守備練習でも。まるで大将の寝首をかくために放たれた草の者のごとく、ある選手のうしろにピッタリとついて回っていた。

 練習が終わったあと、思わずこう声をかけてしまった。「ずっと児玉くんのうしろについていたね?」と。すると"忍者"はいたずらっ子のように笑って、こう答えた。

「はい、児玉さんを超さなきゃいけないので!」

侍ジャパン大学代表合宿で軽快な守備を見せる田中幹也(写真左)と児玉亮涼侍ジャパン大学代表合宿で軽快な守備を見せる田中幹也(写真左)と児玉亮涼 侍ジャパン大学代表候補50名が発表された際、候補リストのなかに亜細亜大の1年生内野手・田中幹也(東海大菅生)の名前を見つけて、生田勉監督の意図を推察せずにはいられなかった。

 生田監督は代表監督であり、亜細亜大の監督でもある。もちろん田中の高い能力を見込んだ面もあるだろうが、おそらく昨年の代表選手であり、田中と同タイプの児玉亮涼(りょうすけ/九州産業大3年/文徳)から学んでほしいという親心があったはずだ。

 田中は東海大菅生時代、2年夏の甲子園で数々の美技を披露し、"忍者"の異名をとった遊撃手である。神出鬼没の大胆なポジショニングに、フィールドをところ狭しと駆け回る軽やかな身のこなし。本人が目標とする菊池涼介(広島)を彷彿とさせるプレースタイルで大観衆を酔わせた。

 亜細亜大に進学した今春はリーグ戦開幕からベンチ入りを果たし、シーズン途中から二塁手の定位置を確保した。田中は最終節の東洋大戦の前に、生田監督からこんな言葉をかけられたという。

「東洋戦で活躍したら、代表合宿に連れていくぞ」

 その大事な最終戦で田中は4打数3安打2打点と暴れ回り、みごと代表候補入りを果たしたのだった。

 そして、6月22日から神奈川・平塚で開かれる大学代表選考合宿に臨むにあたって、田中は生田監督から「児玉に負けたら(代表に)入れないぞ」と発破をかけられている。ただの「研修」にするつもりはなく、田中は「勝負」するために平塚に来ていた。

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