兄と同じ道を辿って急成長。中日・
又吉克樹の弟がドラフト候補へ名乗り

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

 元々「2人とも私立大に進むのは......」と家庭の経済事情を苦慮していた。地元の国立大である琉球大を志望していたのもそのためだったが、「成長できるかもしれない、自分の可能性にかけたい」という気持ちが上回った。両親から進学の許しを得て、兄と同じく環太平洋大の門を叩いた。

 入学後は、高校時代の悔しさを晴らすかのように練習に打ち込んだ。体育大である同大が誇る充実した設備も後押しとなり、大学2年秋の新人戦で130キロ後半の直球を投げ込むまでに成長した。しかし、肝心のリーグ戦でのチャンスは、そう簡単に巡ってこなかった。

「自分よりも完成度の高いフォームで140キロを超えてくる同期もいましたし、何より1学年上の和田(洸輝)さん(現・JR北海道)たちがすごくて。なかなかリーグ戦でのベンチ入りや登板のチャンスを掴めませんでした」

 それでも、又吉は折れなかった。当時チームを率いていた野村昭彦氏が、エースだった和田の投球練習を毎回見に来ることを発見し、ブルペンで和田の隣をキープした。増速した直球をひとしきりアピールしたが、かけられた言葉は「又吉、腕を下げてみたらどうだ?」。当時は右のオーバーハンドだったが、特徴を出すために、サイドスローへの転向を薦められた。

 明くる日もブルペンで力投したが、かけられる言葉は変わらず「腕を下げてみろ」。又吉の腹は決まった。

「その時、『ここまで言われるならやってみよう』と覚悟を決めました。もしかすると、せっかく上がってきた球速も落ちてしまうかもしれない。でも、オーバーで投げていた3年春もリーグ戦のベンチ入りができていなかった。それなら、よくなる可能性に懸けてやってみようと」

 転向当初は「球もいかないし、違和感しかなかった」と語るように、130キロ後半に達した球速も下がっていった。しかし、サイド挑戦から約1カ月が経った頃、打者の反応が変わっていることに気づく。

「サイドに取り組んだことで、真っすぐに強さが出ました。球威が上がったことで、ストレートでファウルを取れるようにもなった。困った時に投げられる、カウントを整えられる球種に変わっていったんです」

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