「常勝」の平成の王者。
大阪桐蔭は令和でも王者になれるか

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 以降、2008(平成20)年夏、2012(平成24)年春夏、2014年(平成26年)夏、2017年(平成29年)春、2018年(平成30年)春夏と日本一を達成し、甲子園初勝利以降の14年間で監督として甲子園歴代3位となる通算55勝を挙げるなど、大阪桐蔭の黄金期を築き上げた。

 素質豊かな選手を揃えるスカウティングがまずあり、体力、技術を徹底的に鍛え上げていく。とくに近年はチームとしての組織力、そこにつながる選手、指導者の意識の高さが目立つ。

 日々、グラウンドや寮生活でも常に日本一を求め、その思いを積み重ねているからこそ、普段どおりの力を"ここ一番の場面"や"崖っぷちの局面"でも出せる。平成の戦いを思い起こすと、なかでも強く印象に残っているのが2012年のセンバツ、準々決勝の浦和学院(埼玉)戦だ。

 1-1の同点で迎えた8回裏、大阪桐蔭はエース・藤浪晋太郎(阪神)のワイルドピッチで1-2と勝ち越されてしまう。

 そして9回表の攻撃。先頭の3番・森友哉(西武)が左中間へヒットを放ったが、二塁を狙いタッチアウト。無死二塁と思ったはずが一死走者なしとなり、さすがの西谷監督も「ガクッときました」と振り返る。誰もが「ここまでか......」と思っていたが、大阪桐蔭の選手たちはあきらめていなかった。

 元気者の副主将・白水健太が「よっしゃ、ここからや!」といつもの大きな声を飛ばすと、四球と2本の安打で2点を挙げて逆転。どんな状況に追い込まれても、あきらめない、慌てない。この粘り強さが崖っぷちからの逆転劇を呼び、ひいては春夏連覇へとつながっていった。"常連校"から"常勝"へ、大阪桐蔭がワンランク上のチームになった瞬間だったのかもしれない。

 そしてその伝統は、脈々と後輩たちへと受け継がれている。昨年夏の北大阪大会準決勝、最大のライバルである履正社戦もそうだった。

 8回裏に根尾昂(中日)がつかまり、まさかの3失点で3-4と逆転を許した。そして9回表、先頭打者が出塁するも、次打者のバントが小フライとなり、ランナーが戻れずに併殺。二死走者なしという絶体絶命のピンチに追い込まれた。

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