東都2部の歴代安打記録を更新。国士舘大の稀有なヒットマンは何者か (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 力の差はさほどなくても、試合環境は大きく異なる。1部リーグは学生野球のメッカ・神宮球場で試合ができる一方、2部リーグは現在、東京、神奈川、埼玉のさまざまな球場で開催されている。高部が神宮球場で試合をしたのは、入替戦などごくわずかしかない。必然的に、人目につく機会は限られてくる。

 国士舘大の辻俊哉監督に高部の力量を聞くと、「見ての通りです」という自信に満ちた答えが返ってきた。

「天性の部分も、能力的な部分も十分にプロに入れるだけのものは備えています。もちろん、プロに入るような選手は高部のような選手ばかりなので、入ってみないとわからない部分もあります。でも、高部は野球が好きで、毎日でも練習しているような野球小僧ですから」

 辻監督は強打の捕手としてロッテ、オリックスで12年もプレーした経験がある。その元プロの監督をもうならせるのは、安打を量産するバットコントロールだけではない。大学リーグ通算24盗塁の快足も高部の武器である。昨年は春秋リーグ27試合で13盗塁と荒稼ぎしている。辻監督は独特の表現で、高部に檄(ゲキ)を飛ばしているという。

「『今から走りますよ』と言ってから走っても、盗塁を成功させないといけないと高部には言っています。去年たくさん走った分、今年は警戒されるなかでいかに成功させるか。ピッチャーに牽制されることも増えていますが、その経験が今後に生きてくるはず。臆病にならずに走ってもらいたいですね」

 高部の名前が少しずつ知られるようになったのは、山梨・東海大甲府高時代である。3年夏の甲子園に出場し、1番打者として活躍。「スーパー1年生」として日本中から注目された清宮幸太郎(早稲田実業/現日本ハム)が甲子園初アーチを放った試合で、高部は東海大甲府のセンターを守っていた。華やかな舞台こそ経験したが、高部は決してエリート街道を歩んできたわけではなかった。

「中学(埼玉・越生ボーイズ)の時なんか、本当にパッとしない選手でしたから。実績も能力もない、たいした選手でもないのに兄が東海大甲府にいたので、くっついていくように入らせてもらったんです」

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