受け継がれる「甲子園の遺伝子」。名選手たちの息子がセンバツで躍動 (2ページ目)

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 大会3日目、津田学園(三重)との息詰まる投手戦で、延長11回表に決勝打を放ったのが龍谷大平安(京都)の奥村真大(まさひろ/2年)。一死二塁から前を打つ4番の水谷祥平が敬遠された。

「ありがたいと思いました」

 その試合、奥村はそこまで無安打。津田学園のエース・前佑囲斗(まえ・ゆいと)のストレートに対応しようとそれまでバットを短く持っていたが、水谷が歩かされて「打って返すしかない」と闘争心に火がついた。普段どおりバットを長く持って振り抜いた打球は、レフトポール際にあわやホームランという決勝の2点タイムリーとなり、京都勢の春夏通算200勝を達成した。

 試合後、奥村は「ホームランを打つつもりでした」と、2年生とは思えない堂々とした口ぶりで語った。ホームランにこだわるには、おそらくこんな理由が挙げられる。

 奥村の父・伸一さんも甲子園球児だった。甲西(滋賀)のメンバーとして198586年夏の甲子園を経験。初出場だった85年夏はベスト4に進出するなど"甲西旋風"を起こし、86年には三沢商(青森)との開幕戦でホームランを放っている。

 そして奥村の兄・展征(のぶゆき/現ヤクルト)も日大山形の選手として2013年夏に日大三(西東京)戦でホームラン。これは甲子園では史上2組目の親子本塁打だった。

 また、甲子園では過去に兄弟本塁打も2組ある。だが、親子・兄弟にまたがっての達成例はなく、つまり奥村にホームランが飛び出せば、"親子・兄弟本塁打"という史上初の大偉業となるわけだ。

 奥村は盛岡大付(岩手)との2回戦でも、あわやスタンドインという二塁打など2安打。

「風が逆だったので、ホームランにはならないかなと。でも、父の(ホームラン)は映像で見ましたし、兄のホームランは目の前で見ましたから......やはり1本打ちたいと思います。(1年生として出場した)去年の夏は平安の甲子園100勝を経験しましたし、このセンバツは京都勢200勝ですから、自分は持っていると思うんです」

 奥村本人がそう言うのだから、大いに可能性があるかもしれない。

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