初戦敗退の国士舘に起きた悲劇。エースと主砲が学校行事でまさかの... (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 ところが、練習試合解禁後の沖縄遠征では6試合で6打数3安打と活躍。ヒットを打つたびに代走が出されたが、黒澤は「影響はとくに感じなかった」と言う。

「もともと踏み込む右足に負担がくる打ち方で、後ろ足の左足はむしろ『抜く』くらいの感覚なので、左足を痛めたのは不幸中の幸いでした。久しぶりの実戦でボールの見え方が違うとか、とくに感じませんでした。強いて言えば、ベースランニングで回るときにちょっと危ないかな、と思う程度ですね」

 沖縄遠征後はフル出場することはないものの、先発メンバーとして徐々に慣らしていった。そして3月27日、明石商(兵庫)とのセンバツ初戦では「4番・ファースト」として起用された。

 ライトへ強烈な当たりを放ったシーンもあったが、結果は3打数0安打1四球。7回裏に先発投手の白須が降板してファーストの守備位置に入ったタイミングで、黒澤はベンチに下がった。チームも優勝候補に挙げられる強豪相手に粘ったものの、終盤に突き放され1対7で完敗。黒澤は試合後、「自分の実力のなさで結果が出せませんでした」と唇を噛んだ。

 一方、右手薬指を骨折した山崎は、登板機会がないままゲームセットのコールを聞いた。薬指の骨折はすでに完治していたが、実は昨秋時点で痛めていた右ヒジ痛が治りきらなかったのだ。

「昨日は全然速いボールを投げられなかったんですけど、今日はブルペンでボールも走っていました。ケガをした自分が悪いのですが、悔しいです。投げたかったです」

 山崎が登板できなかった直接的な原因ではなかったにせよ、柔道で2人の主力が負傷したことを批判的にとらえる向きもあるだろう。ある首脳陣は「武道大会はクラス代表の3~4名が出るのだから、山崎は出るべきではなかった」とも話した。一方で、同校OBでもある箕野コーチはこう語っていた。

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