初戦敗退の国士舘に起きた悲劇。エースと主砲が学校行事でまさかの... (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 黒澤という選手は、独特な感性を持った打者である。まず、フォームからして変わっている。身長167センチ、体重70キロの小さな体をさらに縮ませるようにヒザを深く折り曲げ、右足を左足のすぐ横に寄せて剣道の「蹲踞(そんきょ)」のような体勢を作ってから強く前に踏み込んでいく。

「中学2年の時に、森友哉さん(西武)のように身長がなくても飛ばせるようになりたいと思って、重心を低くするところから始めました」

 チームメイトが黒澤の打撃論を聞こうとしても、核心部分に触れようとすると途端に教えてくれなくなるという。黒澤は「バッティングの話はしますけど、『これだけは......』という自分だけのものがあるので」と言う。さわりの部分だけを聞かせてもらうと、やはり独特な感性の持ち主ということが伝わってきた。

「バットの軌道のイメージは、陸上競技場のトラックみたいな感じなんです。カーブで振り出して、直線部分のどこかでボールをとらえて、長くバットに吸いつかせて飛ばすような形です」

 体は小さくても、一本芯の通った職人気質。それが黒澤という打者なのだ。

 当初は重傷に絶望した黒澤だが、すぐに気持ちを切り替えて治療に励むことにした。「固定してしまうと筋肉が固まって、可動域を広げるのに時間がかかるから」と、ギプスをつけずに回復を待った。本来なら推奨されない治療法だが、黒澤はこの方法にわずかな望みを賭けた。

 厳しいリハビリをこなし、椅子に座った状態でティーバッティングを再開。2月の終わりには松葉杖を外して立てるようになり、3月8日にはチームに合流した。

「自分のケガの治療に関与してくれた先生や、すべての方々に感謝したいです」

 黒澤はすぐさま実戦に復帰したが、完治したとは言えない状態だった。首脳陣も黒澤に無理をさせず、まずは代打として起用した。箕野豪コーチは「代打として甲子園で1打席でも立てたら......と思っていました」と打ち明ける。

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