ヒントは吉田輝星。惜敗した津田学園のエースの将来はいい予感満載 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 昨秋の東海大会初戦は立ち上がりから力みが見られ、3回に3失点を喫している。だが、4回以降には力感のないスタイルにモデルチェンジし、大垣日大打線を封じていた。前は明らかにこのスタイルに手応えを感じていた。その集大成を春のセンバツで発揮したと言えるだろう。

 転機は昨年の夏だった。津田学園は、三重きっての進学校で、1955年夏に甲子園を制した古豪でもある四日市高に初戦で敗れた。前は終盤にリリーフ登板するも追いつかれ、延長12回裏にサヨナラ打を浴びている。

「当時は常に全力で投げることしか頭になくて、体力がもちませんでした」

 そんな悔いを引きずるなか、前が目にしたのは昨夏"金農フィーバー"を巻き起こした吉田輝星(こうせい/日本ハム)の投球である。

「吉田さんを見て、『こんなピッチングがしたい』と影響を受けました。ランナーが出るまではオフにして、ピンチになったらオンになる。ストレートでも130キロのボールと140キロのボールを投げ分けて緩急をつけられるようにしました」

 東海大会初戦ではわずかに夏の名残りがあったものの、この「輝星スタイル」がはまった結果、前は津田学園のエースとしてチームを東海大会準優勝に導いた。

 さらにこの冬は「スピードではなく、キレを求めてやってきました」と、新たな課題に取り組んでいた。

「ボールの質が変わってきました。秋までは打ち返されていたストレートが、年明けからファウルになるようになって。キレが上がってきたと思います」

 龍谷大平安戦では9回まで被安打2の無失点投球。自慢の強打線が龍谷大平安の好左腕・野澤秀伍に完璧に封じられたため、試合は延長戦にもつれ込んだものの、前の実力を伝えるには十分な内容だった。

 スイスイと0行進を重ねながら、前はアクシデントと戦っていた。驚くことに、6回には右手の親指、人差し指、中指の3本の指をつっていたという。

「自分で揉んで直したんですけど、その後からストレートを投げるときに指が気になっていました」

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