「松井の5敬遠」の明徳投手が指導者に。あの日の続きが2打席あった (2ページ目)

  • 楊順行●文・写真 text&photo by Yo Nobuyuki

 そう話す河野には、かつて何度も5敬遠の話を聞いたことがある。取材メモをあらためて見てみた。

「『こらあかん』と思いましたよ。星稜と長岡向陵(新潟)、勝った方がウチと当たるので、その試合をレフトスタンドで見ていたんです。初回いきなり松井に回り、カーンと音がしたと思ったら速すぎて打球が見えないんです。『あれ、どこ行った?』と思ったら、そのホームラン性のライナーをライトがつかんでいました。馬淵さんも『あれはバケモン』と言うし、星稜戦の先発を告げられたときには、『松井はもう、相手にせえへんから』と。

 結局、試合では5打席ストライクなしの20球、全部ストレートです。ヘタに変化球を投げて引っかかったら、ストライクゾーンに行きかねませんから。自分が145キロでも投げられれば勝負もしたかったでしょうが、背番号8でわかるように本職のピッチャーじゃないし、プライドも何もない(笑)」

 だが、この試合は社会問題化し、勝った明徳はすっかり悪者になった。宿舎には嫌がらせや抗議の電話が殺到。選手や監督は宿舎から出られず、練習の行き帰りはパトカーが付き添う始末だ。そういう状態では、平常心で野球ができるわけもなく、明徳は次戦で敗退してしまう。

「ただね......負けたあとのミーティングで、馬淵さんが号泣したんですよ。聞き取れたのは、『オマエらは悪うない、オマエらはよくやった』という言葉くらい。でも、当時はいくら批判されたとしても、そういう人ですから、僕らは信頼してついていったんですよ」

 だからこそ、"修行"の期間にも頻繁に恩師の馬淵と会っていたのだ。

 おもしろい後日談も聞いた。後年、すでに引退していた松井と、テレビ番組の企画で対談した。1打席だけ対戦したが、その時もフルカウントからフォアボール。もう1打席、オンエアされなかった対戦でもフォアボールで、

「だから松井に対しては、7打席すべて、ですね(笑)」。

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