2019.01.22

米子東23年ぶり甲子園へ。
情熱の指揮官が描いた古豪復活ストーリー

  • 井上幸太●文・写真 text & photo by Inoue Kota

 さらに、2008年から2012年までの5年間、夏の県大会はすべて初戦敗退。不振にあえぐ状況で母校に戻ってきたのが紙本だった。

「私立の存在感が強まったこともあって、『公立校、それも進学校が甲子園に行くのは難しいよね』という空気が現場、OB会、保護者会それぞれに漂っているように感じました」

 紙本が米子東に赴任する前年の2012年に、鳥取城北が春夏連続の甲子園出場を果たした。着々と”勝ちグセ”を身に付けつつある強豪の登場もあり、冒頭のような後援会長の挨拶が生まれたのだ。紙本は言う。

「当時の会長も、チームをけなす意味ではなく、僕たち現場に批判が向かないように気遣いのニュアンスでおっしゃったんだと思います。でも、そこに『もう甲子園は無理だよな』という本音があったのは事実でしょうし、OBのひとりとしては、そう思われる状況が寂しくもありました」

 コーチとして臨んだ2013年夏。当時の中心選手には森下智之(現・明治大、2018年春東京六大学ベストナイン受賞)らもおり、決して力がないわけではなかったが、3-6で惜敗。夏の初戦連敗が6年にまで膨らみ、大会後に監督交代の必要性が叫ばれるようになる。そして春からコーチを務めていた紙本に白羽の矢が立った。

「母校を含めて4校でコーチ経験を積ませてもらいましたが、監督は初めて。本音を言うと母校で監督をする喜び以上に、『正直この状況は厳しいな』という戸惑いの方が大きかったですね」

 念願成就というよりも”急転直下”の監督就任。思わぬ形でスタートした紙本の監督人生だったが、約9年間のコーチ経験から「こうすれば甲子園に行けるのでは」という”青写真”は描けていたとも語る。

「まずやらなければならないのは、『何をやるべきかを”科学的知見”に基づいて決める』ことだと思っていました。くわえて、強くなるための方法を”細分化”していくこと。たとえば打力を上げるためには、強打者が持つレベルの体と、適切な打撃フォームの両方が必要になってきます。体を大きくしようと思ったら、そのために必要なトレーニングと栄養管理について専門家に学ぶ。打撃フォームについては、動作改善の専門家に教えを請う。各分野に精通している方々から知見を得て、その上で練習を練り上げることが、勝つための近道だと」