高校ではベンチ外も大学で開花。
本塁打連発の男が一躍ドラフト候補へ

  • 永田遼太郎●文 Nagata Ryotaro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 センバツでは代わりに背番号2をつけた1学年上の水野克哉が先発マスクを被り、初戦の智辯和歌山戦、2回戦の関東第一戦と続けて好リードを見せた。エース岸潤一郎との相性も抜群で、それ以降も正捕手は水野が任されるようになる。

 山形がマスクを被る機会は一気に激減した。さらにファーストのポジション争いも山形と同じようにセンバツが公式戦デビューだった選手に譲ることとなり、定位置争いから一歩、二歩と後退する。

 高校2年の春に入り、今度は代打一番手の座をかけて1学年上の田中秀政と競いあったが、練習試合で3割7分の打率を残した山形に対し、田中は6割近くの打率を残して上回りその座さえも奪われた。

「最上級生になったら必ず出番が回って来るから」

 周囲の者たちは傷心の山形を元気づけた。新チームのスタート当初こそ4番ファーストでスタメン出場を果たしたが、周囲の仲間たちも同時にそれ以上の結果を出したため、監督の構想から徐々に外れていくこととなる。

 高校3年、最後の公式戦出場は春の四国大会だったが、その時の背番号も2ケタ。「18番とかそういうギリギリの番号だった」と本人、あまり詳細を覚えていない。

 そして迎えた5月下旬のある日、自分の名前がシートノック表に入っていないのを確認すると、同時に自分の高校野球生活がそこで終わったのだと感じた。

 高校3年の夏、最後の高知県大会でも仲間が汗を流し甲子園を目指して必死で戦っているなか、素直に応援できない自分がいた。

「応援したい気持ちも半面、自分は試合に出ていないし、当時は複雑な想いが交差していました。応援団長も同じ3年生がやっていたというのに、自分は素直に声を張り上げて応援する気持ちにもなれなくて......。でも、準決勝を前にふと『俺、何してんのやろ?』と思うことがあったんです。『ずっと一緒にやって来た仲間なのに自分がメンバーに入っていないからって、応援せえへんっていうのはちょっと違うんじゃないか』って。そこからは気持ちのすべてを応援にぶつけるようになれましたし、最後の夏の甲子園の時も素直に『勝ってくれ!』と思いながら、スタンドから応援することができました」

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