野村祐輔らが明かす、しびれる3年間。広陵OBは修行を経て成長する (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

卒業までに技術を上げることだけ考えた

 明治大学を経て、2015年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団した上原健太はこう語る。

「広陵での3年間が終わった瞬間、人生が終わったような感覚になりました。卒業式の日もうれし涙が止まらないんですよ。やっと解放されるという思いがまずあって、広陵での生活が終わる寂しさが2割、うれしいのが8割でした。でも、あの3年間の修行期間があったから、その後にバーンと伸びたんだと思います。もし広陵に入らなければ、今の自分はいません」

 新しいチームに入れば、高校時代の実績は関係ない。スター選手も、無名選手もイチからのスタートになる。三年生の夏が終わった後の鍛え方次第でその後の評価が変わる。上原が続ける。

「広陵では、選手としての期間が終わってちょっと休息してから、また練習を再開するんです。僕は卒業までに、勝ち負けに縛られず自分の技術を上げることだけを考えました。自分のなかでは、草野球感覚で楽しく練習に取り込むことができました。すると、自信がついてきて、自分でも変わったなと思いました」

 上原は明治大学で1年春からリーグ戦登板を果たし、4年間で通算14勝を挙げてプロ野球の世界に飛び込んでいった。

 2017年夏の甲子園で準優勝した広陵の選手の中で、もっとも目立っていたのは、ドラフト1位指名を受けてカープに入団した中村奨成。だが、卒業後すぐに新しいチームで頭角を現したのは、早稲田大学に進んだ丸山壮史だった。広陵で背番号15をつけていた男が名門大学でレギュラーポジションをつかみ、関係者を驚かせた。また、この秋の明治神宮大会(大学の部)で日本一になった立正大学のベンチには、昨夏10番を背負った山本雅也がいた。

甲子園はゴールじゃない

 選手にとって、高校野球は人生で一度きりだ。控えに回る選手の実力が不足していることもあるだろうし、運に恵まれない場合もある。故障によってチャンスを逃すこともある。中井監督は言う。

「僕はよく、『甲子園に何回出たんですか』とか、『何勝したんですか』と聞かれます。『プロ野球選手を何人育てたんですか』とも。でも、そういうことにはまったく興味がない。甲子園に何回出たとか、何勝したということ、何人もプロ野球選手を出したことが監督の評価になるんですか? 正直、なんでそんなことを言われるのか、わからん。

 いつも控え選手に言いますが、高校野球のなかでレギュラーと控えが分かれただけで、負けたかもしれんけど、まだまだ終わりじゃない。18歳の子らにしたら、人生はこれから。まだ始まってもいない。甲子園に行けなかったからとか、高校でレギュラーじゃなかったからとか、全然関係ないんです。

 大学や社会人で野球を続ける選手もおれば、全然違うことを始める人間もおる。甲子園はゴールじゃない。ゴールになってほしくない。野球が大好きで、甲子園を目指して頑張って、人間を鍛えたことをその後に生かしてほしい」

 野球のレギュラーポジションは9つしかなく、ベンチ入りできる選手も限られている。多くの部員は試合に関わることができない。だが、控えの選手の思いをしっかりと受け止め、ひとりひとりの成長を見守り続ける監督がいるから、広陵野球部は強い。

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