荒木大輔も圧倒。帰る気満々だった池田が甲子園の歴史を塗り替える (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真photo by Okazawa Katsuro

 プロ野球のスカウトから超高校級の評価を受けていた畠山も、翌春のセンバツ優勝投手となる控え投手の水野雄仁も、150キロ近いストレートを投げていた。そのふたりを相手に練習している池田の選手たちにとって、荒木のボールは打ちごろだった。

「逆に技巧派のピッチャーには弱かった。変化球で攻められていたら、あんなには打てなかったでしょうね」

 5回までで池田打線は荒木から8本のヒットを放っていた。江上の活躍を受けて燃えていたのが、同じ2年生の五番打者である水野だった。畠山が2点を奪われたあとの6回裏、水野がセンターバックスクリーンにホームランを放ち、6回を終わった時点で試合は7-2。池田の勝利は濃厚だった。

「こういう言い方をしたら悪いけど、2回で5点差になった時点で絶対に勝てると思いました。うちはどんな試合でも5点も取られることはなかったから。もし僕が打たれても水野がいるんで、心配はなかったですね」

 このあとも「やまびこ打線」の勢いは止まらず、試合は「残酷ショー」の様相を呈した。8回裏には8安打の猛攻で7得点。終わってみたら14-2という大差がついていた。

選手は落ち着いてるのに監督だけが・・・・・・

 この大会を「日本一になる最後のチャンス」ととらえていた早実と、甲子園の呪縛から解き放たれて自由に動き回る池田の差が出た試合だった。

「大輔たちは、周囲から期待をかけられてキツかったと思う。それに対して僕たちは本当にノープレッシャー。僕も5回目の挑戦で初めて出場した甲子園で試合をするのが楽しくて仕方がなかった。早実との試合は結果的に大差になったけど、力の差はあまりなかったと思います。僕たちは運がよかった」

 1980年の夏から常に"甲子園の主役"だった荒木を打ち崩した池田は、この試合で勢いづいた。

「蔦先生が急に『優勝するぞ』と言い始めて、プレッシャーがかかりましたけどね。『あちゃー、本気になったぞ』と思いました」

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