藤浪晋太郎が苦笑する6年前。大阪桐蔭はドラマがないほど強かった (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News,Sportiva

―― 最後は澤田圭佑投手(現・オリックス)のリリーフを仰いで、2点差で逃げ切ったんですよね。

「澤田の存在は自分にとってはものすごく大きかったんです。大阪桐蔭に入ってすぐ、澤田がシートバッティングに投げるのを見て、すごいピッチャーがいるなと思ったのが最初でした。140キロ以上の真っすぐをバシバシ投げて、左バッターには真横にキュッと滑るようなカットボールを投げて、これはとんでもない同級生がいるなと......自分、ハッキリ覚えてないんですけど、電話で親に『ここではエースになれないかもしれない』って、珍しく弱音を吐いたらしいんです。そのくらいすごいピッチャーだと思いましたし、影響を受けた存在でした」

―― とはいえ、甲子園では3回戦(済々黌戦)こそ澤田投手に託しましたが、準々決勝以降は完璧なピッチング(準々決勝の天理戦で1失点完投、準決勝の明徳義塾戦、決勝の光星学院(現・八戸学院光星)戦はいずれも完封)でした。

「甲子園大会に入ってからはどんどん調子も上がりましたし、光星学院との決勝では一番いいピッチングができました。あの試合は北條(史也/現・阪神)、田村(龍弘/現・ロッテ)がキーになると思っていたんですけど、彼らの前にランナーを出さない、そして彼らに打たせないということがしっかり実行できたので......個人的には甲子園よりも大阪大会のほうが難しかったと思っています」

―― 甲子園では接戦といえる試合がありませんでしたからね。

「ゆえに、自分たちの大会って面白くなかったって、よく言われるんです(苦笑)。確かに、観る側からすれば面白くないでしょうね。大阪桐蔭の試合に関して、ドラマは一切、なかったので......全試合で先制して、全試合をそのまま逃げ切って勝ちましたから、ドラマチックじゃなかったと自分でも思ってます(笑)」

―― だから、優勝の瞬間のガッツポーズも地味だったのでしょうか(笑)。

「最後の夏に甲子園で優勝する、ということはずっと目標で、3年間、自分もそのことしか考えずにやってきました......やってきたんですけど、でも、どちらかといえば勝った瞬間は、ホッとしたんです。センバツで勝ったときは『よっしゃあ』『やってやったぞ』という感じだったんですけど、夏に最後のバッターを三振に取って優勝した瞬間に思ったことは、『ああ、やっと終わった』ということでした」

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