沖学園の新米監督が生んだ「奇跡」。その陰にあった主将交代と56年会 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 一方で平川は鬼塚監督への不信感を抱いていた。当時の心境を平川は率直な言葉でこう語る。

「監督の指導が好きじゃなかったので、モヤモヤとした思いはありました」

 前任者に声を掛けられて沖学園に入学した者にとっては、「自分は鬼塚監督に教わるためにここへ来たんじゃない」という感情が渦巻いても不思議ではない。鬼塚監督が選手のためを思って苦言を呈しても、「自分は嫌われているから」と誤解し、さらに心を閉ざす悪循環だった。

 秋は県大会4回戦で福岡工大城東に0対5で敗退。「笛吹けど踊らず」の状況に業を煮やした鬼塚監督は、主将の交代を決断する。

 2018年3月に平川からショートの阿部剛大(たかひろ)へ。阿部は強肩強打のショートとして、九州でも指折りの注目選手だった。平川は「チャンスをください」と直訴してきたが、鬼塚監督は頑として認めなかった。

 新キャプテンの阿部は「冬が終わってミーティングでいきなりキャプテンになってビックリしました。自分は言葉でまとめるようなタイプではないので......」と戸惑いながらも、プレーでチームを牽引した。

 だが、春の県大会は2回戦で筑紫台に1対3で敗退。何の兆しも見えないまま、いよいよ夏の足音が聞こえてきた。3番・センターの主力選手である三浦慧太は早くも夏の計画を立て始めていた。

「このままでは甲子園なんかとても出られない。夏休みは海にでも行こうかなと思っていました」

 大会前、鬼塚監督は意を決して平川を監督室に呼び出した。

「『お前が変わらないと勝てないよ』ということを、延々と1時間くらい時間をかけて話しました」

 それは平川にとって意外な言葉だった。平川は当時を振り返る。

「キャプテンを外されて気持ちが落ちた時期もあったんですけど、監督から『お前がカギを握っている』と言われて、その言葉を重く受け止めました。そんな風に思ってくれていたんだ......とようやく理解できて、それからは『自分が扇の要なんだから、やってやろう!』という気持ちに変わりました」

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