初めて万全の体で甲子園出場。大阪桐蔭・藤原恭大は100回大会で伝説を残す (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

「足を痛めて、バッティングが少しおかしくなっていたので、春のセンバツが終わってから橋本(翔太郎)コーチとフォームを見直しました。春はいつの間にか猫背になっていて、最初は上半身を浮かして棒立ちになるくらいから始めて。姿勢が悪いと力が伝わりにくくなるので」

 練習では当たり前のように本塁打が出るようになり、長打力が増した実感があったという。そして独特な骨盤の揺れは、藤原のフォームを真横から見るとわかりやすい。二人三脚でフォーム改造に取り組んだ橋本コーチは、このように語る。

「藤原に聞いたら『下半身と上半身がかみ合わないときがある』と言うので、『こんなやり方もあるで』と提案しました。骨盤をリズムよく動かして、打ちにいくタイミングで股関節にパッと入れる。常に体を動かすことがはまったみたいです」

 夏の北大阪大会での打撃成績は、6試合に出場して22打数14安打2本塁打15打点、打率.636という恐ろしい数字だった。甲子園でも作新学院戦では4打数2安打1打点と結果を残している。

 そして、藤原のプレーでもっとも驚きに満ちているのは「足」である。本人も報道陣から「自分のどんなプレーを見てほしいですか?」と問われると、真っ先に「自分の足をお客さんに見てもらいたい」と答えている。

 作新学院戦では6回裏に強烈なセンター前ヒットで出塁すると、すぐさまスチールに成功。そのスピード感だけでなく、「クイックの速いピッチャーではなかったので、動いてからスタートしても十分に間に合うと思った」と冷静に見極めていたことも、積んできたキャリアの濃さを感じさせた。

 そして、作新学院戦での最大の見せ場は8回裏にやってきた。1対0の僅差で迎え、どうしても追加点がほしい二死二塁の場面。藤原はカーブに対して体勢を崩されかけながらも踏ん張り、ライト前へ運ぶ。処理を焦ったライトがゴロを後逸した瞬間、藤原は「4つ(ホームまで)行けるな」と確信したという。

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