今井達也が振り返るあの夏の熱投「投手で日本一になった実感はない」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 岡沢克郎、市川光治(光スタジオ)●写真 photo by Okazawa Katuro,Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

―― 具体的にはどんな練習を?

「(小針崇宏)監督は『自分で考えて練習しろ』というタイプだったので、ランニング、体幹、ウエイトトレーニングのメニューを自分で考えながら、ひとりでやってました。あの時期、いろんな物事に対する考え方を身につけることができたという点で、ものすごく成長できたんじゃないかと思っています。1番をつけたプレッシャーもある中で、練習、試合、練習、試合を繰り返していくうちに、ひとつずつ、目の前のプレッシャーを乗り越えて、自信をつけていったような気がします」

―― 練習、試合、自信、そしてまた練習、試合、自信......というスパイラルですか。

「そうですね。僕の代は県大会で2年秋がベスト4、3年の春はベスト8で負けてしまっていたので、本当に甲子園へ行けるのかという不安もありましたし、だからこそ3年夏は自分たちの力でつかみ取った甲子園出場でしたから、本当に嬉しかったです」

―― 憧れ続けた甲子園、今、あらためて思い出すと、どんな景色が目の前に浮かびますか。

「テレビで見ていて想像していたよりも遥かに大きいバックスクリーンと、360度、どこを見てもギッシリだったスタンドのお客さんかな」

―― 大会が始まる前は、横浜の藤平(尚真)、履正社の寺島(成輝)、花咲徳栄の高橋(昂也)が"ビッグ3"と言われていました。その3人のことは意識していましたか。

「いえ、とんでもない。抽選会のときに見て、3人ともすごく体がでかかったし、勝とうとか負けないぞとか、そんなことを意識する以前の、なんというか......他人事のような感じでした」

―― それが、優勝したのはビッグ3ではなく、今井投手でした。

「ウチの学校は、個人の力に頼るよりもチーム全体で勝ちにいく野球でしたし、監督も選手も、ああいう飛び抜けた選手がいるチームにどうやって勝てるのかということをいつも考えていましたから......」

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