中央学院がピンチを糧に甲子園へ。監督の武器は「選手を管理しない」 (2ページ目)

  • 高木遊●文・写真 text&photo by Takagi Yu

 昨秋に関東大会初優勝を果たしセンバツに臨む際も、「舞台が上がれば上がるほど、変わらないようにしようって言ってきました。どこで野球をしてもダイヤモンドの大きさは変わらないですから」と語っていたように、それは甲子園であれ、甲子園をかけた一戦であっても変わらない。

 ただ、その普遍性を揺るがす事故が、5月下旬にあった。

 投打二刀流でプロのスカウトからも注目を集めていた大谷拓海(たくみ)が、練習試合で頭部に打球を受けて負傷。長期離脱を免れない状況になり、大谷中心の戦いからの方向転換を迫られた。練習試合でも苦しい試合が続いたが、そのなかで相馬監督の必要以上に管理はしない指導方針が生かされた。

 たとえば「こちらから精神的支柱は作らない」とかねてから口にしており、自然とそうした選手たちが出てくるようにじっと我慢する。練習中の指導は主に4人いるコーチおよび部長が行ない、相馬監督は大きな声を張り上げることはほとんどなく、統括する立場だ。

 こうして指導者や選手に責任を与え、自覚を促していく。

 大谷を欠いた練習試合は当初苦しい結果が続いたが、選手たちが自発的にミーティングを重ね課題克服に取り組み、コーチ陣も選手に寄り添いサポート。チーム内では「長く勝ち残り、大谷を復帰させよう」という機運が自然と生まれた。

 冷静でどっしりとしている一方で、面倒見のいい一面もある。

 今大会、大谷は野手として4回戦で復帰し、準々決勝の八千代戦で投手復帰を果たしたが、3回が終わったところで降板。準決勝も4回途中で降板し、さすがに本調子とは言えなかった。

 その両試合で好投し、決勝の東京学館浦安戦で2失点完投勝利を挙げたのが、3年生のサイドハンド右腕・西村だった。

「大谷だけではなく、西村もいるんだという存在感を示せました」とはにかんだ西村だったが、彼もまた5月はどん底にあった。

 調子が上がらず、そのストレスもあったのか生活面も乱れていたのを見かねていた相馬監督は練習から外し、西村を部室の掃除や防球ネットの修繕にあたらせた。

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