武井壮の恩師が高校野球に復帰。
12年の沈黙から3か月で古豪復活へ

  • 菊地高弘●文・写真 text&photo by Kikuchi Takahiro

 あれから12年。小田川監督が修徳から堀越へと指導の場を移し、再び高校硬式野球の世界に戻ってきた。

「実は最初に声を掛けていただいたのは、修徳で不祥事があった頃でした。当時の堀越の校長先生が『もし修徳をクビになったらウチにおいでよ』と言ってくださって。ありがたいお言葉でしたが、具体的に進展することはありませんでした。それが昨年11月にまたお電話をいただいて、『ウチはピンチなんだ』と。若い指導者ではなく、経験のある人間に来てもらいたいということでした」 

 当時、堀越は硬式野球部に不祥事が相次いでいた。11月に前監督が辞任すると、監督不在のまま選手たちは冬場を過ごさなければならなかった。一方、小田川監督も修徳で3年生の担任を受け持っていたこともあり、卒業生を見届けるという責任を果たした後に堀越の監督を受諾することになった。

 とはいえ、小田川監督はすでに還暦を過ぎている。硬式野球部の監督を辞した後は高校軟式野球部の監督を務め、そこでも全国大会に導いていた。波風立てずに平穏に教職をまっとうすることもできたはずだ。当然、葛藤はあった。しかし、小田川監督は心に引っかかりを残していた。

「修徳のとき、あれだけ素晴らしい選手に恵まれながらも2回しか甲子園に行けなかった。最後の年は出場停止処分を受けて、選手たちに6月23日まで野球をできなくさせてしまった。痛恨の思いでした。これが私にとって硬式野球の指導の最後になるなんて......と思うと、死んでも死にきれない。そう思ったんです。だから堀越から話をいただいて、『自分でよければ』とお受けすることにしました」

 堀越もただの強豪ではない。春5回、夏5回の甲子園出場実績を誇り、1969年春のセンバツでは準優勝に輝いている。1997年夏を最後に甲子園から遠ざかっているとはいえ、歴史のある伝統校であることには違いない。OBには井端弘和(巨人コーチ)や岩隈久志(マリナーズ)といった名選手がいる。

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