悪夢の落球をした開星のセンターは、
甲子園で「一生のテーマ」をもらった

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Kyodo News

 勝利直前に起こった"まさか"の落球。その鮮烈さから、いつしか彼は「開星のセンター」と呼ばれるようになり、甲子園でフライの落球が起きた際には「開星のセンターを思い出した」などとインターネット上で書かれることも少なくない。

 毎年夏が近づくと、「高校野球名勝負」のひとつとしてこの試合が紹介されることも多く、そういった番組を目にするたびに、彼が今どうしているのか、あのプレーが彼の人生にどういった影響を与えたのか......。何とか話を聞きたいと思っていた。

 取材開始と同時に、「古傷をえぐるようなことを......」と謝意を述べると、笑顔で「いえいえ、大丈夫ですよ。それに、センバツのことに触れてもらえることは今までなかったので、ありがたいです」と答えてくれた。

 この「センバツのこと」とは、本田にとって初めての甲子園出場となった2年春(2009年)のセンバツでの活躍を指す。

 開星にとって初めてのセンバツ出場となったこの大会。初戦の相手は、前年の明治神宮大会優勝の慶応義塾(神奈川)。「大会屈指の本格派右腕」と呼ばれていたエース・白村明弘(日本ハム)を擁し、優勝候補の一角に挙げられていた。

 この試合で、背番号15ながらスタメンに抜擢された本田は、白村から決勝タイムリーを放つ活躍を見せたのだ。

「打者有利のカウントで、『思いきりいこう』と思えたのがよかった。いま振り返っても、あの打球が高校では一番いい当たりだったと思います」

 試合後には、"活躍選手"としてインタビューも受けた。初めての甲子園で見事に結果を残した本田だが、本人曰く、中学までは目立った選手ではなかったという。

「小学校、中学校のときはバッテイングが全然ダメで、足と守備で何とか......という感じでした。実は小学校で野球に区切りをつけて、中学では陸上部に入ろうかなとも考えていたんです」

 地元の強豪チームとして名高い「乃木ライオンズ」で野球を始め、中学時代も同チームの中等部にあたる軟式クラブ「乃木ライオンズシニア」でプレー。開星時代の後輩・白根は、小学校時代から同じチームの所属で、「同学年みたいに接してくるヤツでした(笑)」と振り返る間柄だ。

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