球児を支える秘密兵器。中村奨成の「カチカチバット」誕生秘話 (4ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Kyodo News

 上からカウンタースイングの「現在HP上で受注しているオリジナルカラー」、「廃材を用いて作った試作品(初期)」、「最新のカラータイプ(現在は受注停止中)」 写真提供:野田竜也 上からカウンタースイングの「現在HP上で受注しているオリジナルカラー」、「廃材を用いて作った試作品(初期)」、「最新のカラータイプ(現在は受注停止中)」 写真提供:野田竜也
 2009年にカウンタースイングが完成し、練習を重ねた野田の長男が放つ打球は、大きな変化を遂げることになる。

「逆方向の打球が劇的に変わりました。引っ張らなくても長打が出るようになりましたし、軌道が変わって外の球に対しても楽にバットが届くようになった。ショートの頭(野田の長男は左打者)を狙うような『軽打』も簡単にできるようになったんです」

 指導の際に頻繁に使われる「インパクトまでヘッドを一直線に出す」スイングでは、ボールを捉えるポイントが"点"になってしまうが、野田の考えに基づいたスイングだと、ボールを"線"で捉えられるようになるため、打つポイントが前後に広がる。野田が気づき、提唱したスイングの効果は試合で実証された。
 
 カウンタースイングの完成から少し時間が経った頃、地元の飲食店で食事をしていた野田の目に、見覚えのある顔が飛び込んできた。

「『どこかで見た顔やなあ』と思い返してみたら、PL学園で甲子園に出て、同志社大に進学していた平石(洋介、現東北楽天監督代行)でした。松坂世代の甲子園をテレビに噛(かじ)りつくように見ていたので、ピンときたんです」

 この出会いを機に、野田と平石は定期的に食事を共にする仲になる。野田が平石を自宅に招き、ふたりの息子を交えて野球談議に花を咲かせることもあった。平石の大学卒業後も、同志社大の現役部員との交流が慣習となる。

「そのなかに、2003年のセンバツを制した広陵のメンバーである安井正也、上本博紀(現阪神)と同期だった辻康裕や小林誠二(現巨人)らの広陵OBがいた。彼らから広陵野球部の環境や甲子園に出場したときの話を聞くうちに、長男も『広陵でやりたい!』と口にするようになりました」

 京都府内の高校からの誘いもあったが、憧れが勝り、長男は2010年に広陵野球部の門を叩いた。

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