名門相撲部で鍛えた逸材。「ダルビッシュ2世」が挑む最後の夏 (2ページ目)

  • 高橋博之●文 text by Takahashi Hiroyuki
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 米倉は福岡県内の強豪校から甲子園を目指すつもりだった。

「(若生監督とは)1回目はあいさつだけでしたが、2回目に会ったときはもう埼玉へ行くと決めて返事をしました。福岡県から出たことがなかったので少し迷いましたが、投手として成長したいのなら、監督のところで学ぶのが一番の近道だと決めました」

 埼玉栄高校に入学した米倉は、すぐに頭角を現す。高校1年の夏には11番をもらってベンチに入った。初戦の飯能戦に先発、4回1/3を1安打5奪三振、無失点という結果でデビュー戦を飾った。

「初戦の緊張はほとんどなかったです。ただ、自分がどれだけやれるかわからないだけに、1球1球集中するしかなかった。内容うんぬんではなく、勝つことだけを考えていました。終わったあとの疲労は今までとまったく違いましたね」

 米倉に強くしなやかな体を身につけさせるため、若生監督は米倉に週1回相撲部の練習に参加させた。埼玉栄の相撲部といえば大関の豪栄道をはじめ、大相撲で活躍するOBも多い。そして毎年のように中学生の全国大会で活躍した才能豊かな中学生たちが入部し、全国大会で何度も優勝を重ねてきた名門だ。

 その相撲部で米倉は徹底的に追い込んだ。さらに練習だけでなく寮の食事を一緒に食べたこともある。野球部員は1日4000キロカロリーを目標に食べるが、相撲部員は8000キロカロリーが目標になるという。相撲部との練習は3年の春まで続けた。全国トップレベルの選手たちと交流して考え方を学び、徹底的に体を鍛え上げた。

「高校野球で終わるわけじゃないから。次の段階に行くために高校で体力をつけて、基本的なことを身につける。高校野球は野球の基本を学ぶ場だから。米倉は順調に成長していますよ。大きなケガをしたことがない。それも才能です」

 ケガするほど無理もさせていませんが。そうつけ加えて若生監督は笑った。
 
 米倉は1年の秋からエース番号を背負った。その秋は地区予選敗退。2年夏も県初戦で2失点ながら敗戦するなど勝ちきれないマウンドが続いた。

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