2018.07.07

2度目の春夏連覇へ。大阪桐蔭の名将は
考えぬいた最高の準備をしていた!

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

「大阪大会が開幕して約1カ月後に甲子園大会が始まります。僕は春夏連覇をするためには、1カ月後に新たな戦力がチームに加わっているぐらいでないとダメだと思っています。(大阪大会の登録メンバーである)20人以外から、試合に出たくて仕方がない、体も気持ちも元気な選手が入ってきてこそ、またチームが強くなれる。だから選手には、大阪大会のメンバーに外れたから終わりというのではなく、このあと甲子園で絶対にメンバーに入ってやるという気持ちを持って練習を続けてくれと、常に伝えています」

 西谷監督の経験力と準備力を感じる言葉だが、あらためてセンバツ以降の取り組みを振り返ると、「考えられることはすべてやりきろう」という西谷監督の強い意気込みが伝わってくる。

「できることをやろう、というのは毎年同じですが、その部分がより今年に強く感じられたとしたら、それだけこの夏は大きなものを獲りにいこうとしているからだと思います」

 そう語る西谷監督には、この夏に懸ける特別な思いもある。

「僕はこれまで力を持ったチームに勝たせてやれてないんです」

 過去の戦いを振り返るなかで、西谷監督から何度かこのフレーズを聞いたことがある。今年のセンバツで監督として甲子園6度目の全国制覇を達成し、PL学園時代の中村順司氏に並んだ。

 これまで約19年の監督生活で、激戦区・大阪から春夏合わせて15回の甲子園出場を果たし、優勝6回を含め、戦績は実に49勝9敗(勝利.850)。これだけ勝っていながら、西谷監督のなかには勝たせてやれなかった思いが強く残っているという。

 全国でも勝ち上がれる力を感じながら、甲子園に届かなかった夏の記憶は特に鮮明だ。

 中村剛也(西武)を筆頭に強力打線で挑んだ2001年夏。2年生の4番・平田良介(中日)をはじめ投打に充実した戦力を誇った2004年夏。中田翔(日本ハム)がエースで4番を務めた2007年夏。2年生の藤浪晋太郎(阪神)が主戦で、野手陣も充実していた2011年夏......。勝てなかった理由、背景はそれぞれだが、いずれも西谷監督のなかに「監督としての力のなさ」を痛感させられた戦いだった。