2018.07.05

愛甲猛が明かす荒木大輔との決勝ドラマ
「女の子の悲鳴はすごかった」

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 1年夏の甲子園で1勝を挙げた愛甲には全国制覇の期待がかけられた。しかし、故障続きでなかなか聖地に戻ってくることができず、2度目の甲子園出場は最後のチャンスとなる1980年の夏になった。

 1年生の夏、甲子園から帰ってから、肩、ひじ、腰を壊しました。まだ体が成長しきっていなかったのに、投げすぎたんですね。それからが大変で、ずっと故障との戦いでした。2年生の夏の神奈川大会では痛み止めを打って投げていました。決勝で負けたことが、逆によかったかもしれません。もし甲子園に出ていたら、また無理したでしょうから。

 3年生の夏も痛みをごまかしながら投げていました。もう最後のチャンスだったので「どうすれば勝てるか」というところから考えた結果、ピッチングが変わっていき、「打たせて取ったほうが楽なのか」と思うようになりました。ムダなボールが減りましたね。

 2回目の甲子園は、「帰ってきた」という感じはありませんでした。キャプテンだったということもあるし、自分が成長したという実感もありました。甲子園に戻ってきたという喜びよりも、気持ちの昂(たかぶ)りがすごかった。

 1年生のときは相手のことはよくわからなかったけど、3年のときは気になる高校がありました。中西清起(きよおき/元阪神タイガース)がいた高知商業(高知)、伊東勤(元西武ライオンズ)がいた熊本工業(熊本)、他にも天理(奈良)、箕島(和歌山)、早実には負けたくなかった。

 もちろん、大会前から荒木大輔というピッチャーのことは知っていました。リトルリーグで世界一になったことで有名だったし、お兄さんがいい選手だったから。1年生なのに、ピッチングフォームが完成していることに僕たちは感心していました。