甲子園のスラッガーたちは、なぜ1年生・荒木大輔を打てなかったのか (5ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 終わってみれば4-6というスコアでしたが、点差以上の実力差があったように感じました。僕たち3年生は初めて甲子園で試合をしたんですが、下馬評にも上がらなかったチームが決勝まで戦えて悔いはなかった。自分たちが想定していた以上の高校野球ができました。大輔と、あの夏の甲子園について話したことはあまりないですね。「よく頑張ったよなあ」くらいで。

 高校野球はトーナメント式なので、甲子園まで勝ち上がるのは本当に大変。いくら実力があっても難しい。大輔が5回連続で出場できたことは本当にすごいと思う。一方で、「1年生の夏に準優勝したんだから、1回くらい全国優勝するだろう」という声もあったから、本人は悔しい思いがあったでしょうね。

 この年だけじゃなくて、早実の野球部では、1年の夏からベンチに入る選手が多いんです。当然、3年生でもベンチに入れない選手が大勢いて、甲子園の宿舎では洗濯や準備をする。これが早実の伝統ですね。

「1年生のくせに」なんて思っている選手はいません。1年生が活躍してくれた裏には、マネジャーや控えの上級生たちの働きがありました。今でも僕たちの学年の野球部員が集まることはありますが、レギュラー、レギュラー以外、マネジャー、ベンチに入れなかった選手の間には、何の隔たりもありません。当時も仲がよかったし、その関係は変わらない。もちろん、下級生に対する教育みたいなものはありましたが。

 試合になれば、1年生も2年生も3年生もない。3年生だから温情でベンチに入れるということもありませんでした。チームとして勝つことがすべてではないけれど、勝つという目標に向かってベストの布陣を組む。

 1年生で試合に出ている選手は活躍することが仕事。ベンチに入っていない3年生は練習の手伝いや選手を激励するのが仕事。それぞれに役割を全員がまっとうするのが早実の伝統であり、強さなのかもしれませんね。

◆石井丈裕の登板に観客が「えー?」。早実・荒木大輔の控えはツラいよ...>>

◆監督はコンビニ経営者。別海高は「乳しぼりができる甲子園球児」を目指す>>

荒木大輔のいた1980年の甲子園

7月5日(木)発売

高校野球の歴史のなかでも、もっとも熱く、
もっとも特異な荒木大輔フィーバーの真実に迫る
圧巻のスポーツ・ノンフィクション。

スポルティーバの連載で掲載しきれなかった
エピソードも多数収録されています。

詳しくはこちら>>

5 / 5

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る