横浜×PL延長17回最後の打者が、独立リーグ監督となって揺れる心 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 市川光治(光スタジオ)●写真 photo by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

 松坂から三振を喫した後、PL学園の最上級生となった田中はレギュラーのキャッチャーとして春のセンバツに出場し、準決勝まで勝ち進んだ。しかし最後の夏は大阪大会の準決勝で北陽に敗れ、2年続けての夏の甲子園出場はならなかった。

 高校を卒業した後は近畿大で1年春からレギュラーとして活躍。ベストナインに4度選ばれ、MVPにも輝いた。そんなアマチュア野球界のエリート街道を歩いてきた田中にとっても、NPBへの道のりは決して近いものではなかった。

「もちろん、ずっとプロ野球選手になりたいと思っていましたけど、高校を卒業するときに自分を冷静に見つめたら、プロで勝負するにはバッティングが弱いと思ったんです。だから大学を選んだ。

 僕が本当にNPBへ行けるかもしれないと実感したのは、12球団のスカウトの方が見にてくれるようになって、雑誌で『大学ナンバーワンのキャッチャーだ』なんて取り上げてくれるようになってからです。自分ではその力があるかどうかなんて、わからないものですよ。大学で結果が出たからといって、NPBから声を掛けてもらえるかどうかというのはまた別の話ですからね」

 田中は2003年の秋、ドラフト4位でロッテから指名を受けて入団。2004年から9年間、その後、ヤクルトに移って4年間の、あわせて13年間、NPBでプレーした。一軍では主に2番手捕手としてベンチでスタンバイすることが多く、出場は220試合にとどまったもののチーム内では存在感を示し、2016年限りで現役を引退。

 2017年からBCリーグ、福井ミラクルエレファンツのバッテリーコーチに就任し、今シーズンからは監督を務めることになった。36歳の若き指揮官は、動けるし、声も出る。選手との距離も近く、田中も「アイツら、誰も監督って呼んでくれないんですよ、何しろ、田中さーん、ですから」と笑う。オヤジというより、アニキのような監督だ。田中は独立リーグの存在意義について、こう話した。

「独立リーグからNPBに送り出す選手は年々増えていますし、独立リーグの評価も上がっていると思います。実際、ウチのチームにもNPBでプレーすることをイメージできる選手はいますし、近い将来、NPBに行くなら独立リーグが一番の近道だと高校生に思ってもらえるような形になればいいなと思っています」

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