53歳の山本昌が、突然ピッチング練習を再開。その驚くべき理由は? (3ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 photo by Kikuchi Takahiro

 そして今度は捕手を呼び、右打者の外角低めに構えさせた。

「カウントスリーボールからストライクがほしいとき、ど真ん中に構えることが多いと思うんだけど、意外とど真ん中に投げる練習ってしないから決まらないんだよ。そんなとき、キャッチャーはアウトローから少し内側へ......という意識で構えてあげると、ピッチャーは余裕を持って投げられるから」

 新村とともにチームの二枚看板を背負う武冨陸(2年)も、同じくサウスポーである。横浜市立中山中時代は全日本少年軟式野球大会に出場するなど、好素材として知られていた。

「どちらかというと菊池雄星投手(西武)のような速球派が好きなんですけど......」と打ち明ける武冨だが、山本昌コーチに教わるなかで大きな発見があったという。

「僕はテイクバックをとって、トップの位置まできたらすぐに腕を振り下ろして投げていたんですけど、山本昌さんに『間(ま)を作ったほうがいい』と言われて、力を入れるタイミングを変えてみたんです。そうすると今までよりも投げやすくて、コントロールもよくなりました。細かい部分まで見てくださって、言うことが違うなと感じます」

 新村にしても武冨にしても、自分が知らなかった世界の扉を開いた興奮が言葉から伝わってきた。そして、山本昌コーチは両左腕に限らず、10数人の投手陣それぞれにアドバイスを送った。

「オレの言うことはあくまで基本的なことだから。同じ体格の人も同じ筋肉の人もいないんだから、あとは自分なりに考えてアレンジしてみてほしい」

 練習中、練習後問わず、山本昌コーチの元には多くの選手がやってきて、質問攻めにする光景が見られた。それは投手だけにとどまらず、スローイングについてアドバイスを求める外野手の姿もあった。

 この贅沢な指導は、なんとすべて無償だという。それは他ならぬ山本昌コーチ本人の意向だった。

「僕が練習を見られるのはどうしても仕事の合間になるから。お車代なんていただいちゃうと、『今月は何回行かなきゃ』となってしまう。とてもお金なんてもらえないし、それに僕の母校だしね(笑)」

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