石井丈裕の登板に観客が「えー?」。早実・荒木大輔の控えはツラいよ... (5ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 対戦したのは5人だけでしたかね。水野雄仁に満塁ホームランを打たれて降板しました。この前、当時の映像をDVDにしてもらったんですが、あのボールだったら打たれるなと思った。それに、とにかく池田の打線の破壊力はすごかった。もう飛び方が違ったもん。

 甲子園のマウンドに上がるまでは、大きな舞台で投げたこともなかったし、経験を積んでなかったから、ドキドキしてたんですよ。甲子園で負けた後、残りの試合はまったく見ませんでした。もう、しばらくは野球をしたくなかった。野球の試合を見るのも嫌になるくらいだった。僕の後にもう一度マウンドに上がった大輔にボールを手渡したかどうか、どうやってベンチに戻ったか、そういったことも覚えていません。
 
 結局、池田に2-14という大差で負けたことは本当にショックでしたね。できることなら、もう少し長くマウンドにいたかった。その後にプロ野球でやらせてもらった人間が言うことではないと思いますけど、野球人にとっては甲子園が華ですから。エースとしてあのマウンドに上がりたかったという思いはありました。

 でも、そういう思いがあったから、僕は大学や社会人、プロで頑張れたのかもしれない。大輔に対しても、甲子園で打たれたことに対しても悔しかったから。

 早実を卒業した石井は法政大学に進んだ。大学4年間で通算8勝を挙げ、社会人野球のプリンスホテルへ。1988年のソウル五輪で銅メダルを獲得し、同年ドラフト2位で西武ライオンズに入団した。プロ通算成績は68勝52敗10セーブ、防御率は3.31。1992年には15勝をマークして最高勝率、MVP、沢村賞などを獲得している。

 大輔がヒジの手術をして、リハビリを終えて復活した時は本当に嬉しかった。彼が二軍でいる間はなかなか連絡できなかったけど、一軍に復帰した時には思わず電話しましたよ。
 
 1992年、1993年に日本シリーズで大輔のいるヤクルトスワローズと対戦しました。直接対決はしたくなかったですけど、そんな大きい舞台で試合ができることは幸せでした。

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